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こんまりがかけた魔法とは何だったのか。片付けからミニマリズム、脱消費主義の本質を考える

こんまりがかけた魔法とは何だったのか。片付けからミニマリズム、脱消費主義の本質を考える

2023年の初頭、欧米のメディアを賑わせた報道がある。片付けのカリスマ「こんまり」こと近藤麻理恵が、育児のために完璧な片付けを「ちょっと諦めた」という内容だ。この報道には賛否両論寄せられているようだが、むしろ目を向けるべきなのは、こんまりのグローバルな影響力だろう。

こんまりは、2010年に出版した著書『人生がときめく片づけの魔法』が世界40か国語で翻訳され、大ベストセラーに。2015年には米『TIME』誌で「世界で最も影響力のある100人」に選出され、2019年にはNetflixで世界190か国に向け『KonMari ~人生がときめく片づけの魔法』が配信されるなど、世界中の片付けブームを牽引する存在となった。

著書発売から10年以上を経てもなお、世界中から注目を集めるこんまり。彼女の片付けメソッドは、どのような歴史と結びつき、社会に対してどのような影響を与えているのだろうか。片付けをミニマリズムや脱消費主義と絡めて、考察してみたい。

片付けとミニマリズム


日本で片付けブームを引き起こした、『人生がときめく片づけの魔法』。片付けコンサルタントである近藤麻理恵が、独自の片付け法「こんまりメソッド」を紹介する書籍だ。

それによれば、片付けの極意は「『何を捨てるか』ではなく、『何を残すか』」であり、残すモノを判断する基準は「ときめき」だという。モノに触れて体で感じ、ときめくモノは残し、ときめかないモノは手放す。こんまりメソッドでは、自分がときめくモノだけに囲まれた生活を実践することで、キャリアや人間関係など、人生にも大きな変革がもたらされると考える。

『人生がときめく片づけの魔法』の約1年前に出版されたのが、やましたひでこの著書『新・片づけ術 断捨離』だ。こんまりメソッドが「何を残すか」に焦点を当てたものだすると、手放すことにフォーカスしているのが特徴で、モノへの執着を捨てることで、ストレスから解放されることを目指す。

両者に共通するのは、「片付け」という言葉だ。片付けの語源は、「片を付ける」。物事の決着をつける、始末をつけるという行動を表している。つまり日本ではもともと、「モノを選び、手放すという行為」に注目が集まってきたといえるだろう。

一方アメリカでは、「モノの所有を最小限に抑えるという姿勢」自体が大きなムーブメントを巻き起こした。いわゆる「ミニマリズム」だ。特に、「The Minimalists」というユニットで活動している、ジョシュア・フィールズ・ミルバーンとライアン・ニコデマスの働きは大きかったといえる。彼らのウェブサイト「TheMinimalists.com」の購読者数は200万人超。過剰な消費に異議を唱え、少ないモノで最大限の豊かさを享受することを目標とする。

片付けとミニマリズムは、イコールではない。実際こんまりは、「自分をミニマリストだとは思っていない」と明言している。必要性ではなく、ときめきを判断基準に据えているため、片付けの結果、最小限のモノで暮らすミニマリストになるとは限らないのだ。

しかし同時に、舞台が現代社会であるという前提に立てば、両者は過剰な消費を抑えるという共通点を見出し得るだろう。大量生産が自動的に組み込まれている社会では、無自覚な大量消費が繰り返される傾向にある。そんな中、消費に自覚的になった人々が、「余計」な消費を避けるべく、「片付け」を通して「ミニマリズム」の実践を図ることは十分に考えられる。つまり、片付けとミニマリズムは異なるものでありながら、脱過剰消費を志向する方法と姿勢として両立しやすいのだ。

ミニマリズムの起源


過剰を抑制する思想が見られるのは、消費に限ったことではない。むしろ、ミニマリズムの起源を辿っていくと、消費以外の領域において発展してきた考え方だということがわかる。

ミニマリズムの言葉が最初に登場したのは、政治だった。1905年のロシア革命において、ロシア社会革命党内で実行可能な最小限の要求を行う「最小限綱領派」が、ミニマリストと呼ばれた。つまり、革命を標榜しつつも過剰な要求は避け、現実的な路線で妥協しようとする姿勢を指していたのだ。

1960年には、絵画や彫刻の領域において、ミニマリズムの動きが見られるようになる。「ミニマル・アート」の登場だ。アメリカを中心に起こったこの芸術様式では、形状を最小限まで削ぎ落とし、それを反復・連続させることを特徴とする。限定された素材が用いられたり、特定の場に展開されたりすることも多い。過剰な装飾を避けた抽象表現の極限化、現実空間の知覚や場所との連続性に重きを置き、アートの純粋性を志向する姿勢だといえるだろう。

ほぼ同時期に、音楽にもミニマリズムの流れが訪れる。「ミニマル・ミュージック」と名付けられた一連の音楽作品もまた、「ミニマル・アート」と同様に、素材の極小化と反復を特徴とする。端的に言えば、数少ない音を、反復したり引き伸ばしたりして成り立っているのだ。ミニマル・ミュージックのルーツとされるラモンテ・ヤングの『作品1960年第7番』では、登場する音はたった2音。しかもそれを長く伸ばすだけという斬新さだ。

様々な領域で浸透してきた「ミニマリズム」だが、その精神を最も鮮やかに表現したのは建築家だった。ドイツ人建築家のルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエは、”Less is more(少ない方が豊かである)”という名言を残し、過度な装飾を排除した徹底的な機能美を追求。ル・コルビジェやフランク・ロイド・ライトと並び、20世紀建築の三大巨匠と呼ばれた。

ミニマリズムの起源を辿って明らかになるのは、過度や過剰の回避が、現実に目を向けるきっかけとなっているということではないだろうか。政治の場面において、ミニマリストの視点は、理想よりもむしろ現実にあった。アートや音楽、建築においても、イメージで空想の世界へと誘うというよりもむしろ、現実との連続性に着目させることを目指していた。ミニマリズムには、素材を最小化することを通して、目の前の現実への自覚と直面を促すという特徴があるように思われる。

禅とミニマリズム


ミニマリズムの起源をたどる際、忘れてはならないのが「禅」の影響だ。実際、禅に関心を抱く層と、片付けやミニマリズムに関心を持つ層は重なることが多い。背景にあるのは、精神性の共通点である。

そもそも禅とは何か。端的に言うと、「心の動揺がなくなり、落ち着いている状態」を表すサンスクリット語を音訳した「禅那(ぜんな)」の略語で、坐禅修行をする禅宗を指す。

菩提達磨を祖とする禅宗は、鎌倉から室町時代にかけて中国から日本に伝来し、臨済宗や曹洞宗、黄檗宗などの流派が今日まで残っている。中国では明以降に廃れ、禅文化は日本特有のものとして受け止められている。

日本文化としての禅を世界に知らしめるきっかけを作ったのは、仏教哲学者の鈴木大拙だ。彼は1950年代に渡米し、大学で禅の講義を行った。著書『禅と日本文化』は世界中に翻訳され、禅ブームを巻き起こす。当初はカウンターカルチャー側で受容されていた禅は、やがてインテリ層も取り込み、クールな”Zen”として広まっていったのだ。

鈴木大拙は、『禅と日本文化』の中で、禅の修行の目的は「悟り」の獲得だと断言する。悟りは、「道徳的・精神的・知的な解放」。「知的な煩雑さや道徳的な執着から自由」になり、「自分が感覚できる世界を、その多様性をまるごと意識しながら探求する」ことで、日々の暮らしに新たな意味を見出すことができる。このような禅の考え方が、質素なものの中にこそ豊かさを感じる「わびさび」の美意識につながったという(※1)。

確かに日本では、慎ましいことを美徳とする文化が根付いてきた。武士が目指していた「質実剛健」、江戸時代に奨励された「質素倹約」など、その精神を表す言葉は日本語のあちこちに散見される。

欲望から解放され、日常的な経験に隠されてきた意味を発見することを志す禅の精神は、モノへの執着を取り払うことで、新たな自分の人生を見出そうとする片付けやミニマリズムに通底するといえるだろう。

脱消費主義としてのミニマリズム


複数の側面からミニマリズムの成立背景を見てきたが、これだけで現代のミニマリズムを説明することはできない。現代のミニマリズムは、消費社会を乗り越えるための実践として生まれてきているからだ。

経済社会学者の橋本努は、日本の近代を、終戦から1960年代までの「近代」、1970年代から1990年代半ばまでの「ポスト近代」、バブル崩壊以降の「ロスト近代」の3つに分類し、ミニマリズムを「ロスト近代に特有の消費スタイル」と説明する(※2)。

戦後復興期の近代においては、効率的に大多数のニーズを満たすため、大量生産によるコストダウンが図られた。主な関心の対象は住宅であり、堅実な価値意識を特徴としていた。ポスト近代になると、個人のアイデンティティ主張が目指され、他者と差別化するための記号的な付加価値、いわばブランドなどが重視されるようになる。関心の対象は衣服に移り、豪華さを求めたのがこの時代だ。

そして迎えたロスト近代では、ネット上も含めた無限の自己可能性の刺激が求められている。人々が関心を寄せるのは情報であり、堅実性や豪華さよりも、洗練されているかどうかが価値判断の基準だ。このロスト近代に、近代やポスト近代の消費スタイルを乗り越えるものとして生まれてきたのが、ミニマリズムだと橋本は述べる。

他の先進諸国の消費についても、時期や内容に多少の差異はあれど、類似した道筋をたどっていると考えられる。さらに最近では、サステナビリティの観点とも結びつき、最小限の消費に抑えることが肯定的に捉えられるようになってきた。今ミニマリズムは、世界規模で急速に浸透しつつあるといえる。

このように現代の消費ミニマリズムは、単なる意識の高い人々の暮らしの実践には留まらない可能性を秘めている。消費主義、引いては大量消費を特徴とする資本主義のアンチテーゼとして機能し得る考え方なのである。

消費に自覚的になるという意味においては、片付けも資本主義の根幹を揺るがし得る力を持つのではないか。片付けの魔法は、無自覚だった私たちを目覚めさせ、重大な社会の転換を生み出す契機となるのかもしれない。

参考文献

(※1)鈴木 大拙「禅と日本文化 新訳完全版」 KADOKAWA 2022年
(※2)橋本 努「消費ミニマリズムの倫理と脱資本主義の精神」筑摩書房 2021年
・千葉 成夫「ミニマル・アート」リブロポート 1987年
・小沼 純一「ミニマル・ミュージック その展開と思考」青土社 2008年
・「誰にでもわかる20世紀建築の3大巨匠+バウハウス ル・コルビュジエ/フランク・ロイド・ライト/ミース・ファン・デル・ローエ」マガジンハウス 2006年
・「KonMari Method™ とは」KonMari 2023年7月24日参照:https://konmari.jp/method/
・「断捨離®とは?」断捨離® | やましたひでこ公式サイト 2023年7月24日参照
https://yamashitahideko.com/
・「ブームを引っ張る「カリスマミニマリスト」が捨てられないもの」朝日新聞GLOBE+ 2023年7月24日参照
https://globe.asahi.com/article/11532659
・「こんまり「完璧な片付けを諦めた」背景にある変化-欧米で次々と後追い記事が出る影響力」東洋経済ONLINE 2023年7月24日参照
https://toyokeizai.net/articles/-/649931
・「「この女はモンスターだ」片づけを諦めた“こんまり”に批判が殺到…日本の“掃除のカリスマ”がアメリカで攻撃されるワケ」文春オンライン 2023年7月24日参照
https://bunshun.jp/articles/-/61426
・「「こんまり」が伝授する在宅ワークでときめく秘訣、米国人気はなぜ続く?」ダイヤモンド・オンライン 2023年7月24日参照
https://diamond.jp/articles/-/252868
・「日本の美術にも影響を与えたミニマルアートとその特徴」MUTERIUM MAGAZINE 2023年7月24日参照:https://muterium.com/magazine/column/minimal-art/#%E3%83%9F%E3%83%8B%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%A8%E3%81%AF
・「ミニマル・ミュージックってどんな音楽?~特徴と代表曲、創始者を知ろう」ONTOMO 2023年7月24日参照
https://ontomo-mag.com/article/column/minimalmusic/
・「少ないほうが豊かとする「Less is more(レス イズ モア)」の考え方 “捨てる”ではなく“選び抜く”に価値を」ELEMINIST 2023年7月24日参照
https://eleminist.com/article/874
・「第2回「禅×グローバル」:スティーブ・ジョブズも傾倒した禅からマインドフルネスへ」ダイヤモンド・オンライン 2023年7月24日参照
https://diamond.jp/articles/-/312767

WRITING BY

山田 奈緒美

ライター・編集者

京都大学卒業、同大学院修士課程修了。ジョージアでの日本語教師、書籍編集者、病院経営コンサルタント、Web記事の制作ディレクターを経てフリーランスに。心理、宗教、社会問題に関心を寄せる。

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