CULTURE
Twitterで駐日大使が話題に。ジョージアとはどんな国なのか?
目次
駐日大使のTwitterが日本で話題を呼んでいるジョージア。国土面積は決して広いとは言えないものの、トルコやロシアなどと接し、近隣にはウクライナもある。ジョージアとは一体どんな国なのか。長期滞在を経験したライターがその文化や日常などをお伝えする。
2015年に誕生した「ジョージア」
本記事では、缶コーヒーとも、アメリカのジョージア州とも無関係の「ジョージア」について紹介する。その「ジョージア」は、日本では2015年に誕生した。正確には、名前を改めた結果、英語読みの「ジョージア」になったというべきだろう。日本での以前の呼称は、ロシア語読みの「グルジア」だった。
ここまでお伝えすれば、ピンと来た方もいるのではないだろうか。
ジョージアは、コーカサス山脈の南に位置する、人口約400万人の国である。北はロシア、南はトルコなどと国境を接し、印欧語族に属さない独自の言語と文字を持つ。ヨーロッパとアジアのまさに境界に位置するため、地理的には地域区分が難しく、東ヨーロッパに含まれることもあれば、西アジアの1国として言及されることもある。ただ、現代のジョージアを理解するにあたって看過できないのは、ロシア帝国に併合され、その後ソビエト連邦の構成共和国となった歴史である。
2022年2月、ロシア軍によるウクライナ侵攻が開始されてから、ニュースでも「ジョージア」の名前を耳にすることが多くなった。それは、ウクライナ侵攻の図式が、2008年にロシア・ジョージア間で勃発した南オセチア紛争と類似していることによる。南オセチアにおけるロシア系住民保護という名目でロシアがジョージアに侵攻したこの紛争は、ロシアが一方的に南オセチアの独立を承認するという結末を迎えた。ロシアとの距離を調整し、親欧志向を強めつつあるジョージアとウクライナは、ロシアから共に牽制を受けているといえるだろう。
遠いようで近い国
政治的な事情を説明すると、ジョージアが遠い国のように感じられるかもしれない。しかし、ジョージアはもっと日本の身近に存在する国だ。
例えば相撲では、ジョージア人力士の黒海、臥牙丸、栃ノ心の活躍が記憶に新しい。柔道でもジョージア選手の活躍は著しく、オリンピックでメダルを獲得することも少なくない。2023年の秋にワールドカップが開催されるラグビーの世界ランキングでは、日本とジョージアは互いに近い順位に位置している(※1。2023年2月6日時点で日本は10位、ジョージアは13位)。
他にも、加藤登紀子が歌う「百万本のバラ」は、ジョージア人画家ニコ・ピロスマニがモデルであるし、運動会曲の定番「剣の舞」の作曲者ハチャトゥリアンも、チフリス(現ジョージアの首都トビリシ)出身のアルメニア人だ。飲食店チェーン「松屋」が、”世界一にんにくをおいしく食べるための料理”として発売したシュクメルリもジョージア料理。さらに、スタジオジブリの「風の谷のナウシカ」に登場するナウシカの衣装は、ジョージア男性の民族衣装であるチョハをモデルにしているという説もある。
知らずしらずのうちに、ジョージア文化の一端に触れていたという方も多いのではないだろうか。
本記事だけでは語り尽くせないほど、豊かな魅力をたたえるジョージア。しかし、もしもジョージアを一言で説明しなければならない場面に遭遇するとしたら、「世界一、葡萄を大切にする国」だと答えるだろう。
葡萄とキリスト教
ジョージア正教徒が国民の約8割を占めることからもわかるように、ジョージア正教はジョージア人の重要なアイデンティティの1つだ。
実はジョージアは、古代ローマ帝国よりも早く、世界で2番目にキリスト教を国教化している(1番目は隣国アルメニア)。その国教化に大きな影響を及ぼしたのが「聖ニノ」だ。聖ニノは、4世紀にイベリア王国(現ジョージア東部を支配していた)へやって来て、イベリア王ミリアン3世をキリスト教に改宗させたと伝えられている。ミリアン3世はキリスト教を国教化し、その後1600年以上続くキリスト教文化の素地を作った。
聖ニノのユニークな点は、2本の葡萄の枝を自分の髪で結って作った十字架を伝道に用いたとされていることだ。それは葡萄十字架と呼ばれ、十字架の水平な部分が腕のようにやや垂れ下がっている点を特徴とする。現在もトビリシのシオニ聖堂に保管されており、ジョージア正教会の主要なシンボルとなっている。
ジョージアの歴史を決定づけたといっても過言ではないキリスト教の国教化に葡萄が絡んでいることからも、ジョージアと葡萄の切り離せない関係が浮かび上がるのだ。
葡萄と戦争
ジョージアを含む山がちなコーカサス一帯は、民族分布が複雑な上に大国の侵略が相次ぎ、争いが絶えなかった。そんな戦争の場面でも、ジョージアと葡萄の関係を示唆する逸話が残っている。
昔、ジョージア兵は葡萄の苗を戦地に持って行ったそうだ。たとえ死を迎えたとしても、ジョージアの象徴である葡萄が育つ土地であれば、祖国での死と捉えることができるからだという(※2)。
戦地では葡萄菓子であるチュルチヘラを食べて栄養補給をしていたという説もある(※3)。チュルチヘラは、ジョージアの伝統的な棒状飴で、糸を通したナッツ類を葡萄果汁に浸して固めながら作る。すぐに食べることができ、かつ栄養価も高いため、いわばエナジーバーとして機能していたらしい(※3)。
時代は変わり20世紀。第二次世界大戦末期のヤルタ会談では、米英ソの首脳が戦後の国際レジームについて話し合いを重ねていた。国際連合の設立だけでなく、東西冷戦にもつながることになるこの会談で、チャーチルが絶賛したとされるのがジョージアワインである(※4)。どうやら、スターリンが愛飲していたものを勧めたらしい。真偽は定かではないが、大戦後の世界を左右することになる場面で、首脳たちの体内にはジョージアワインが巡っていたと考えると、葡萄の持つ力を感じざるを得ない。
ところで、なぜジョージアワインを勧めたのがスターリンだったのか。それは、スターリンがジョージア人であることと無関係ではないと思われる。スターリンの本名は、ヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・ジュガシヴィリ。ゴリというジョージアの小さな町で、靴職人の父と、洗濯や裁縫に勤しむ母との間に生まれた。生活は貧しく、酒浸りの父から母子ともに暴力をふるわれる、いわゆるDV家庭だったようだが、息子が聖職者になることを強く望んだ母の支えもあり、彼は正教会の学校で教育を受けることができた。十代の日々には、ジョージア語で素朴な詩も創作しており、「鋼鉄の人」とはほど遠い一面を垣間見ることができる。
葡萄と経済
ジョージアの主要産業は、ワインと観光である。ワインは常に輸出品目の上位を占めてきたが、2021年には1億700万本という過去最高の総輸出量を記録した(※5)。
ジョージアワインの魅力は、歴史の長さと葡萄品種の多さによるところが大きい。ジョージアでのワインづくりは8000年もの間引き継がれ、今日に至っている。ワイン発祥の地の1つとしてジョージアの存在感は大きく、ジョージア語でワインを意味する”ღვინო(ghvino)”が、vino(伊・西)、vin(仏)、вино(露)、wine(英)の語源となったとする説もあるほどだ。2013年、ジョージアの伝統的なワイン製法は、ユネスコの無形文化遺産に登録された。地下に埋められた「クヴェヴリ」という円錐状の粘土製の容器を用いる製法で、ジョージアワインの世界的な知名度を押し上げるきっかけとなった。
ジョージア原産の葡萄品種は、少なくとも500種類以上あるといわれている。旧ソ連時代に栽培品種が限定されるなどして、現在商業的に栽培されているのは約40種にとどまるものの、他国では目にかかれないような珍しい品種が多く、特徴的な風味を生み出している。「究極のワイン好きが最後に行き着く場所」という表現にも頷ける。
ワインづくりの担い手は農家だけではない。中世初期以降、教会と葡萄畑、灌漑水路の3つが行政単位の基礎となっていったこともあり、ワイナリーの中には10世紀以上にわたってワインづくりを続ける修道院などもある。
クヴェヴリ製法の形式や栽培される葡萄品種は地域ごとに細かく違いがあり、つくり手も様々である。ワインづくりの豊富なバリエーションを背景に、最近観光客の間で人気を集めているのがワイナリー巡りだ。葡萄は、ワインと観光というジョージア経済の屋台骨を支え続けている。
葡萄とコミュニケーション
葡萄とワインがジョージアの象徴であることを可視化する場が、スープラである。スープラは、ジョージア式の宴会のこと。結婚や出産、誕生日、新年などを祝うために開かれることが多いが、カジュアルな場面でも人とワインさえ集まればスープラの様相を呈することがある。
スープラで特徴的なのは、タマダと呼ばれる宴席の仕切り役がいることだ。厳格なスープラでは、タマダに絶対的な権限が与えられている。例えば、タマダが宴を始め、最初の乾杯を行うまで同席者たちは飲んではならない。順番が回ってきた時には、タマダが決めたテーマに沿って乾杯をしなければならない、といったルールがあるのだ。優れたタマダは宴席を統率し、その場に集う人たちの一体感を醸成することができる。
スープラの場でワインを飲む際、カンツィと呼ばれる酒杯が登場する。底が安定しない山羊の角の酒杯は、一旦ワインを注ぐと飲み干すまで卓上には置けない。隣人と腕を組んでカンツィに注がれたワインを一気飲みし、友情を誓い合うのが正式な飲み方である。ワインを通じて人がつながり合う瞬間だ。
ジョージアの首都トビリシには、右手に剣、左手に酒杯を持つ「ジョージアの母像」がある。「敵には攻撃を、友にはワインを」という精神が表現されているという。ジョージアの精神を体現する葡萄への敬意を忘れなければ、相手に剣を下ろさせ、共にワインを酌み交わすことができるだろう。
参考文献
※1 「ラグビー世界ランキング」J SPORTS 2023年2月6日参照
https://www.jsports.co.jp/rugby/about/ranking/
※2 ティムラズ・レジャバ、ダヴィド・ゴギナシュヴィリ「大使が語るジョージア 観光・歴史・文化・グルメ」星海社 2023年 p106
※3 「ゲムリエリア 日本でも出来るジョージア伝統料理のレシピ」日本語・日本文化教育センター 2019年
※4 Natalia Velikova, Sophie Ghvanidze, Phatima Mamardashvili. ”Exploring the Role of Nostalgia in Wine Consumption: The Very Best of Georgia”. 2021. p83
※5 「ジョージア・ワインの各統計資料」National Wine Agency of Georgia 日本公式ウェブサイト 2023年2月10日参照
https://www.georgianwine.jp/data-sheets/
・「GEORGIA ワインのゆりかご」(「GEORGIA Homeland of Wine 世界最古のワイン ジョージアワイン展」公式パンフレット)ジョージア国家ワイン庁 2019年
・島村菜津、合田泰子、北嶋裕「母なる大地が育てる世界最古のワイン伝統製法 ジョージアのクヴェヴリワインと食文化」誠文堂新光社 2017年
・”GEORGIAN WINE TOURISM GUIDE 2016-2017”. Georgian WIne Association. 2016
https://jp.rbth.com/cuisine/85337-kurumi-churchkhela-nuts-juice-okashi
・遊佐 弘美「活況を呈するジョージア経済― ロシアのウクライナ軍事侵攻の影響 ―」一般財団法人海外投融資情報財団(JOI) 「海外投融資」2023年1月号
https://www.jbic.go.jp/ja/information/reference/reference-2022/contents/202301_seriesmacro.pdf
山田 奈緒美
ライター・編集者
京都大学卒業、同大学院修士課程修了。ジョージアでの日本語教師、書籍編集者、病院経営コンサルタント、Web記事の制作ディレクターを経てフリーランスに。心理、宗教、社会問題に関心を寄せる。