CULTURE
手指は静謐に熱く物語る ―日本手話という少数言語―
目次
電車の中で声ではなく手指を使い表情豊かに会話する人々を見かけたり、NHKのニュースなどで時折目にすることがある手話。誰もがその存在を知っていて、聴者には何を話しているかは分からないが馴染みがあるように思える。
しかし私たちが目にしている「日本手話」は、実は日本語とは違う言語であることをご存知だろうか。文法や語彙、文化まで、日本語とは異なるということを知っている聴者がどれくらいいるだろうか。
日本は全ての日本人が日本語を話す単一国家だと言われているが、日本語と関係の深い琉球語、全く異なるアイヌ語に並び、少数言語である「日本手話」を第一言語とするマイノリティを包摂する国なのである。
日本手話を母語として生きる
日本手話は、「ろう者」の母語である。
ろう者の定義は多義的であるが、主に音声言語獲得前に聴覚を失った人が多く、”ろう社会”に属している人々のことを表す。手話言語と文化に誇りを持ち、“聴覚障がい”と呼称されることに違和感を持ち、自らをろう者と呼ぶ人も多い。
日本手話はろう者の中で自然発生的に生まれた自然言語である。文字を持たない無文字言語であるゆえに成り立ちの記録は残っておらず、最初の歴史的記述は1878年の京都盲唖院に関するものであるが、起源は遥かに古いと推測されている。
詳しい言語的特徴は後述するが、日本語と同じSOV構文でありながら、いつ、どこでなどの疑問が後ろにつき、どちらかと言うと英語の用法に似ている。言葉尻を濁さず直接的表現を多用する欧米的低コンテキスト文化を持ち、また表情や口の形が重要な文法的意味を持つNMS(非手指動作)も日本手話の要である。
こうしてみると明らかなことは、手話は聴者が思うような”日本語にハンドサインがついたもの”ではなく全く別の言語であり、ろう者は日本手話を母語、日本語の読み書きを第二言語として習得しているという事実である。
聴者のなかでの誤解は、”日本語対応手話”が存在していることで生まれやすくなっている。テレビで見かける歌にジェスチャーをつけた”手話歌”や、聴者による手話教室などで教えられているのはこの日本語対応手話である。これは日本語にジェスチャーをつけた人工言語であり、聴者がろう者とコミュニケーションをとる方法として1960年代に使われ始めた。難聴者、中途失聴者にも使いやすく便利な方法であるが、手話で単語を羅列しているだけに加え、日本語特有の”察する文化”がろう者には分かりにくく、幼少期に日本語対応手話を獲得することは非常に難しい。
アメリカで「口話法」という聞こえない人に発声して話させる方法が生まれると、日本人なら日本語をという風潮が高まり、ろう学校で日本手話が禁止されていた時代もあった。日本語の下位互換的位置付けという烙印を聴者から一方的に押され、”使うと恥ずかしい”という共通感覚がろう者間に植え付けられた。外出時にはなるべく使わないようにする、ろうの家族間でも使わないようにするなど、少数言語に対する社会的弾圧は長く続いた。その影響は最近まで色濃く、ろう学校での手話教育はこの10数年でようやく口話法から手話重視へ、NHK手話ニュースは実は日本語対応手話が使われていたが、2018年にようやく日本手話に切り替わったのである。
静謐で饒手なる異文化世界
日本手話と日本語の文法上の違いは、非常に興味深い文化や生活習慣の違いを生んでいる。
聴者に殆ど知られていないろうの世界について、日本で1番身近な異文化としてここに紹介したい。
そもそも日本手話は、様々な面で英語的である。これは聴者からすると驚くべきことである。例えば、高橋亘他共著【1】からの例を見てみよう。
①「もしよかったら、いつもの場所のコンビニで9時15分に待ち合わせて行きませんか?」
②「もしよかったら待ち合わせて行きませんか?どこ、いつもの場所のコンビニで、いつ、9時15分です」
①のように日本語で話すところ、疑問詞が後ろにつく日本手話では②という語順となる。これは英語の「When」や「What」など疑問詞の用法に非常に良く似ており、根本的な文法構造が日本語とは違うことがよく分かる。
また「察しの文化」である日本語と違い、「言語化する」日本手話は、英語のようにはっきりイエス・ノーや、用件、意思を表明する。
木村晴美著『日本手話とろう文化 ろう者はストレンジャー』から興味深い例をいくつか紹介する。
例えば「一緒になりたい」というポエムのようなプロポーズも、ろう者からすると”それってどういう意味?”となる。はっきり「結婚しよう」と要点を言われないと伝わりにくい。
時間も”1時間後”などと明確に表現する。日本語によくある「しばらく」や「見合わせている」では通じない。日本語で「ちょっと待って」と言うところを「一分か二分待って」と言うろう者もいたそうである。
日本語と日本手話の語彙は同じように見えて表意味範囲や解釈が違い、双方に誤解を生むこともある。
例えば「問題ない」という表現は、〈問題ない〉というNMS+〈かまわない〉で表されるが、このNMSが”口を尖らせる”ので、
「全然問題ないよ」しかし口を尖らせている
となる。聴者からすれば
(問題ないよといいつつまだ怒っているのかもしれない)という解釈になってしまう訳である。
「悪くない」という語彙の意味範囲も面白い。日本語では他人が作ってきた料理などに「悪くないね」と言うと親しくなければ失礼に思われるが、日本手話では褒める表現として使われる。これは英語の「Not bad.」そっくりの使われ方である。
日本手話にはCL(類別詞)という写像的に物事を伝えることができる表現があり、これを使えば言語化できないものを表すこともできる。例えばボールの弾み方を他人に伝える時、日本語のオノマトペではイメージに限界があるが、CLなら動きまで正確に伝えられる。優れた日本手話を使う人々を見ていると、さながら演劇や落語を見ているような、情感や風景がありありと図像として伝わっていることが聴者にも分かる。
聞こえないことが前提の世界では、生活習慣も違ってくる。
ろう者はしっかり目を合わせる。考え事をする時は頭の中で手話をして考えている。手の形や動きのイメージが浮かんでくる。夢は音が無い状態で見て、寝言で手話をする。その為寝言は他者に筒抜けだったりする。
人に用件や存在を知らせるには電気の消・灯でチカチカさせたり、壁などをたたいて伝達する。家の中はふすまを外したりドアを開け放しておき、互いが見えていることでコミュニケーションが取りやすくなる。オフィスもドアは開け放し、もちろんノック無用である。
日本語よりストレートな物言いが良しとされているので、「似合う?」と聞かれ「全然似合ってない、別のほうが良いよ」などと答えるのはよくあること。「最近太ったね」も挨拶がわりのように軽く交わされる。
また音の大きいライブ会場でも、電車の中とホームでも、うるさくても離れていてもはっきり会話できる。ろう者どうしの会話は表情豊かで活発で、静けさとはほど遠いほど激しく、豊かである。
物心つく前に聴覚を持たないということは、そのままで世界は調和が取れ、完璧であるとも言える。この社会が不便なのは、たまたま聴者がマジョリティだからかもしれない。ろうの文化を知れば知るほど、”助けが必要なかわいそうな人”はそこにおらず、異文化・異言語に生きる人々の鮮やかな日常が見えてくる。
“聞こえない”多様性
自身もろうの両親のもとで生まれ育ったろう者の木村晴美が、聴者である市田泰弘と共著で1995年論文「ろう文化宣言」を発表する。“ろう者は日本語とは異なる言語を話す言語的少数者である”と定義したこの論文がろう社会に与えた影響ははかりしれず、ムーブメントを機にろう者が”障がい者”ではなく誇り高き人々であるという認識の変化が、日本のろう社会にも巻き起こった。
ろう者の権利や地位の向上、ろう者自身の意識変革が起きたことは非常に大きな前進であり、それ以来エスニックマイノリティと同様にろうコミュニティのアイデンティティが形成されてきた。
しかしろう文化宣言では日本手話を重んじており、日本語対応手話を使う難聴者や中途失聴者がやや複雑な立場に置かれている。また中途失調した場合は失意も大きく、音が無い状態を完璧な世界と認識しているろう者とは生活や文化に対するスタンスが異なっているとも考えられる。
ろう文化の源流でもある、アメリカの歴史あるろう者の高等教育機関ギャローデット大学では、80年代にデフ・プレジデント・ナウという運動が起こり初めてのろう者の学長が誕生したが、その後2005年に中途失聴者として学長に選出されたジェーン・フェルナンデスが「”she is not deaf enough.” (彼女は充分なろう者じゃない)」、アメリカ手話が流暢ではない、などと言う理由で学生側から抗議行動が起こり、辞任する騒ぎとなった。フェルナンデスは取材に対し、ギャローデットは「あらゆる種類のdeaf people を受け入れなければならない」と述べている。
中途失聴者も突然親しい人々とのコミュニケーション方法を失う孤独に苛まれていたり、難聴にも多様性があり、軽度難聴では社会的支援が薄い、聞こえないことを配慮してもらいにくいなど、それぞれの”聞こえない”にそれぞれの違いがあることもここで知っておきたい。ただし「ろう文化宣言」後、日本で“聞こえない”人々全体に対する認識が大きく改められてきたことは、中途失聴者、難聴者にも非常に大きな意義があったと言えるだろう。
指が描く豊かな世界
東京都品川区にある私立明晴学園は、日本で唯一日本手話を第一言語とするろう学校である。
2017年に初めてNHKで放送された「静かで、にぎやかな学校〜手話で学ぶ明晴学園」では、子どもたちの豊かな手話世界を垣間見ることができる。
教室には沢山の笑い声が響き、子どもたちは笑顔いっぱいに忙しなく手話で会話している。子供たちの身体全体を使った手話は情感豊かで詩的で、まるで演劇を見ているような驚くべき表現力を持っている。あたたかい日差しの中カエルが春を感じる喜び、空を大きな雲がうねりながらもくもくと動く涼やかな様、その全てが私たちにもありありと伝わってくる。身体から紡がれる言葉は景色を伴い、色や光や風や香りまでも私たちに想起させるのだ。
彼らの屈託の無い笑顔が、”ろうを当たり前に生きる”ことの美しさを、私たちにも伝えてくれている。
参考文献
【1】高橋亘,仲内直子,宮地絵美,村上裕加(2007)「日本手話と日本語の構造比較と聾者にわかりやすい日本語の表現」『関西福祉科学大学紀要』第10号, pp75-82.
https://fuksi-kagk-u.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=151&item_no=1&attribute_id=45&file_no=1
【2】木村晴美著「日本手話とろう文化ーろう者はストレンジャー」生活書院、2007年
日本語と日本手話 ―相克の歴史と共生に向けて― 参議院第三特別調査室 山内 一宏
https://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2017pdf/20170301101ss.pdf
多様な表現と文化が広がる「手話言語」の世界:当事者が語る、英語との共通点とは?
English journal online news
https://ej.alc.co.jp/entry/20191024-sign-language
「聞こえない世界」と「聞こえる世界」の間で感じるもの 澁谷智子 子ども研究
https://kodomogakkai.jp/.assets/澁谷さん.pdf
中島隆著「ろう者の祈り〜心の声に気づいてほしい〜」朝日新聞出版、2017年
木村晴美著「ろう者の世界ー続・日本手話とろう文化ー」生活書院、2007年
安藤豊喜著「21世紀のろう者像」財団法人全日本ろうあ連盟出版局、2005年
中園秀喜著「『聞こえ』のバリア解消への提言ー共生社会を目指してー」日本放送出版協会、2008年
マーシャ・B・デューガン「難聴者・中途失聴者のためのサポートガイドブック」明石書店、2007年
伊藤 甘露
ライター
人間、哲学、宗教、文化人類学、芸術、自然科学を探索する者