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環世界という楽園で、人は森羅万象を夢見る

環世界という楽園で、人は森羅万象を夢見る

近いウクライナ、遠いミャンマー

2022年2月にロシアが侵攻を開始した直後、ウクライナの状況がどうなっているか気になり、ニュースアプリを開く日々を送っていた。海外情勢のニュースにあまり関心が無い日本でも、これまでにないくらい活発にウクライナの凄惨な様子がWeb記事になり、膨大な量がインターネットに流れてきていた。

そんな時ふと、あれ、ミャンマーやアフガニスタンや香港は今どうなっているんだろう、と思う時がある。

何故スマホに流れる”ホットトピック”にならなければ、私たちは忘れてしまうのだろう。ニュースにならなければ、ミャンマーで苦しむ人たちは私たちの”世界”から存在しなくなってしまうのだろうか。

また、他人のYouTubeを開いた時に、プラットフォームに表示されている動画の傾向があまりに違って、別の世界に来たような気持ちになったことはないだろうか。

あなたのすぐ隣にいる家族や友人すら、今見ているSNSの情報は驚くほど全く異なる。コンテンツを利用する個人への最適化によって、インターネット環境から示される情報は分断されていて、あなただけの閉じられた世界になっている。

このことを考える時に思い起こされるのが、生物学者ヤーコプ・フォン・ユクスキュルが提唱した「環世界」という概念である。

盲目のマダニ、図形を読むミツバチ


「Umwelt(ウムヴェルト)」は生物学用語で「環世界」と訳される。エストニアの生物学者であったユクスキュルによって提唱された概念である。

人間は五感で知覚したことをインプットとし、それを運動にアウトプットすることで行動する。そのような存在をユクスキュルは「主体」と称した。更には動物や昆虫も、それぞれの感覚器によって知覚したものにより運動し、人間が見ているものとは全く違う環境に主体として存在するとした。

ユクスキュルは生物それぞれが知覚する世界を「環世界」と呼んだ。

動物や昆虫の環世界では、人間が普遍的と感じている時間や空間や触覚や目的ですら、人間の環世界での出来事にすぎないと言う。ここでいくつか、興味深い動物の例を通じて環世界を紹介しよう。

マダニは盲目で耳も聞こえない。しかし木の上によじ登り、温血動物の皮膚腺から酪酸の匂いを信号として受け取り、そこから身を投げる。見事鋭敏な温度感覚が知らせる何か温かいものの背に飛び乗ると、触覚を駆使して毛の少ない部位に移動する。そこで頭から食い付き、血をいただく。これがマダニの最後の晩餐となり、あとは役目を終えて死んでゆく。

マダニの環世界では、酪酸の匂いや触覚などというシンプルな知覚標識によってのみ運動し、イメージや音は知覚できない。知覚できないということは、マダニの環世界には最初から存在しないということと同義になる。

また、いつも木の下を獲物が都合よく通るわけではない。マダニは時に途方もない時間待ち続けることもできる。ロストックの研究所には18年間絶食した「待っている」マダニが生きたまま保管されていたこともある。18年という歳月を、同じ場所から動かずに待ち続けるということは、人間の時間感覚では到底無理なことである。しかしマダニの環世界ではこれが実行可能な時間感覚が流れているということになる。

環世界の時間感覚についてはユクスキュル/クリサート著『生物から見た世界』でこのように表現されている。

「時間こそは客観的に固定したものであるかのように見える。だが今やわれわれは、主体がその環世界の時間を支配していることを見るのである」

環世界の時間というと、ベタという闘魚の実験も興味深い。

素早い魚を獲物としているベタは、自分の映像を1秒に18回表示されると見分けられないが、1秒に30回以上表示されると見分けることができる。つまり人間の時間では考えられないほどの超高速を生きていることになる。

反対にカタツムリは、人間の感じる“一瞬”が1秒に3〜4場面ずつ起こるという超スローな環世界を持つことも分かっている。

また、ミツバチを図形を書いた紙の上に放つと、星や十字のような先が開いた図形に好んで止まり、丸や正方形など閉じた図形には止まらない。これは開いた花と閉じたつぼみを、人間的な視覚のイメージで知覚し判断するのではなく、図形的に開いたものだけを知覚標識としてそこだけを目掛けて飛んでいるためである。

様々な動物の生態から見た環世界は、今まで自分が知覚してきたものこそがこの世界の全てであるという私たちの強固な幻想を見事に打ち砕く。

また多様な環世界を人間なりに観察や実験を通じて想像することはできるが、実際に我々が知覚することは叶わない。知覚できないということはその世界には存在しないのと同じなのだ。それはまた動物側からも同じである。この悲しいすれ違いの性は、バートランド・ラッセルの宇宙のティーポットパラドックスを思い起こさせる。

ただ、想像の中でも動物たちの環世界は実に活きいきと輝いている。

実際には知覚が不可能だからこそ私たちが意識しなければならないのは、この世界は人間の主体のみで成り立つのではなく「環世界が実在する」という謙虚で博愛的な姿勢であると思われる。この姿勢は、環世界の思想が西欧の生物学界より哲学界に影響を強く与えたという事実からも伺える。

和辻哲郎が著書「風土」で“牧場”と言い表したヨーロッパにとって、自然は一度開墾すれば人間に従順であり征服できるものと表現されている。自然を懐柔し、灌漑農業や水道、道路、コンクリートなど、圧倒的な人工技術文明を築いてきた。世界の主体は人間であるとするヨーロッパの精神性の中で、環世界の概念がいかに異質で驚くべき観点だったかは明らかだろう。

文字が逆さまになる世界


暮らしの中で、身近な環世界を窺い知れることもある。

聴覚過敏を持つ人がいる。尋常ではないほど鋭い嗅覚を持ち、その分苦手な匂いも多い。食事の席では時たま皿からの異臭が気になり、食事を交換してもらうこともあると言う。

その匂いはまるで“幻”のごとく、常人には全く感知できない。だから他人には非常にわがままな態度に見えてしまう。しかし実際に、匂いによってストレスを感じたり、頭痛を訴えたりと、その人は苦しんでいた。また天然香料を使った様々な日用品や洗濯方法などにも詳しく、いつも快適な香りに包まれて暮らすように努力していた。

普通に生活していれば知覚することなど到底不可能な僅かな香りが、他者にとっては時に生活を妨げるような近さで日々知覚されている。この事実は、1番身近で観察し得た環世界の発現だった。

同じように、一般的には知覚不可能なものを感覚器でインプットしている人々がいる。

文字や音に色を感じる「共感覚」は興味深い。共感覚は受容器が受け取った情報を、異なる知覚として認識する。人によって見え方は実に様々だが、例えばアルファベットのAを見ると頭に黒が浮かんだり、2という数字が黄色く見えたり、ハ短調に黒を感じたりする。

物理学者リチャード・ファインマンは共感覚を持っていたとされ、著書「困ります、ファインマンさん」の中で、このように記している。

「その方程式を見ていると、どういうわけか僕には、一つ一つの字に色がついて見えてくるのだ。式を説明している僕の頭の中には、ヤーンケとエムデの教科書の中のその関数がぼんやり浮かんでいて、J は薄いベージュ色、n はやや紫がかっており、濃褐色のχが飛び回っているのが見えるのだ」

ファインマンの脅威的な記憶力は、共感覚による色のイメージによって補強されていたのではと推測されている。共感覚の初めての報告は、1880年にダーウィンのいとこで個人差心理学のパイオニアであるフランシス・ゴールトンによってなされた。それ以来共感覚を持つのではないかとされる人物の事例が多数記録されてきたが、そのどれもが知覚者による主観的現象報告であった為、長らく共感覚を実証することは難しく、本人の認識や芸術的感性、または薬物による影響や精神的な病だと思われていた時代もあった。

また失読症を持つ方が、「例えば私にはあのスーパーに書かれている“玉ねぎ”の“ね”の字が左右反転して見えています」と説明してくださったことがあった。本を読む時も文字がぐちゃぐちゃになり、周囲の理解を得られにくかった幼少期は非常に苦労したと言う。大学へ進学することを諦めず、両親に教科書や書籍を朗読してもらい、それを暗唱して勉強した。

字が読みづらいのは幻などではなく、その人の視覚では今実際に、文字がひっくり返ったり滲んだり歪んだりして見えている。しかしそれは誰の目にも見えず、我々にその環世界を知覚することはできない。

大多数が知覚できなければ“無きもの”とされてしまうが、でも彼らの環世界では確かに、香りは名前を持ち、音楽には色の情景が巡り、文字が逆さまに踊っている。彼らの環世界を想起し理解する努力を持ち得たら、どれだけ皆が暮らしやすくなるだろう。それがもし私たちにも知覚できたら、世界はどんなに美しく感じるだろうか。

スマホから生まれる陰謀論者


人間が日々膨大に享受する情報。インターネットが普及した現代では、新聞やテレビではなく、SNSなどのソーシャルメディアプラットフォームを通じて情報を取得することが殆どだ。ただあなたが日々見つめているスマホにも、実はあなただけにしか見えていない閉じた「情報環世界」がある。

YouTubeのサジェスト機能に従って動画を見ているうちに、流行りの陰謀論動画ばかりがサジェストされるようになり、妻や夫が突然陰謀論者になったという事例が増えている。ワクチン接種などの意見で家族が衝突し、離婚に至るケースも出てきている。ヨーロッパやアメリカではこういったインターネット情報による分断はより深刻で、陰謀論で家族を失った人のニュースが膨大な数におよび、「Addiction Center」という依存症総合サイトでは「Conspiracy theory addiction (陰謀論依存症)」と紹介され、セラピーが紹介されるまでになっている。

YouTubeだけではない。広告収入や利用者増という利益の為に、どんなコンテンツも、それが正しいかどうかではなく、あなたが見たいものを最適化して表示してくれる。あなたが検索したものをAIが学習して、それに近いもの、あなたが好きそうなものを驚異的精度で探し当ててくれる。

FacebookやTwitterでは、自分に近い意見だけが流れてくる。Amazonは一度買うと更に買いたくなるような商品で執拗に誘惑してくる。Instagramは気になる投稿を1度開くとすぐに似た投稿ばかりでフィードが埋め尽くされる。

カスタマイズが強く行われているSNSはもちろん、Googleなどの検索エンジンも、言語や使用する地域によって表示される順番は当然違ってくるし、ニュースアプリも、それぞれの国や政治信条によって、記事の書かれ方や表示傾向は全く違ってくる。あなたはそのうち心地よいものだけを簡単に選びとって、その中だけで生きることができる。それはさながら、あなただけのための情報の楽園である。

ユクスキュルの環世界では、沢山の動物たちが野原にいたとして、それぞれが閉じたシャボン玉に住むことで、野原は調和に満ちた楽園になっていると表現される。実際のところ、好きなものだけにかこまれて、気分を害するニュースや投稿を避けられることは心地よい。情報環世界にい続けたくなる気持ちも分かる。ただそうなると、”他者と知覚しているものが違う”、というシンプルな事実を認識することが1番難しくなる。小さな部屋に偏った情報だけが反響する“エコーチェンバー”は過激な思想の温床ともなり、社会の分断を時に促進する。

街をすれ違う人のスマホの数だけ、独自の情報世界がある。世間も皆自分と同じものを見ているはずだと盲信する人は、その甘美で危険な渦に巻き取られてゆく。情報環世界は、世界情勢に対する世論にも、極端に大きな影響や、冷徹な無関心を引き起こすことができる。

ウクライナはメディアを使った広報が上手いとされている。故に、ロシアによるウクライナ侵攻のニュースは多くの人々の情報環世界に頻繁に現れて、空爆や銃撃から逃げ惑う人々の惨状があなたのニュースアプリに毎日表示される。しかし例えば今中東のどこかで戦争が起きていようと、スマホに示されるあなたの為のニュースには彼らの姿は無い。無いということは存在しないことと同義という環世界の概念を、ここでも想起させられる。

“これからの戦争は情報戦になり、情報を制した者が勝つ”、などと物騒なことがニュースなどで叫ばれているが、それはあながち間違いでは無いのかもしれない。

環世界を超えて、どこにでも在る“私”


新型コロナウィルスの大流行によって世界がパニックに陥った時、取り乱した人々が様々な情報にすがりつき、社会の分断がより大きな問題となった。

そんな時、多田富雄著「生命の意味論」は、環世界の視点から世界を見つめ直すことの大切さを伝えてくれている。

ウィルスは突然現れるのではなく、太古の昔から自然の中に潜在している。そのバランスが、人間と野生動物の接触などで大きく崩れる時に、伝染病の大流行となる。ウィルスたちは最初は大量に人間を斃していくが、そのなかで変異を繰り返し、徐々に人間を減らしすぎない姿に適応していくことに努める。人間や動物は、ウィルスにとって重要な宿主なのであり、人類は遥か昔から伝染病とこの世界で共存してきた。人間は苦しみの時を過ごさねばならないが、それが永遠に続くことはない。

新型コロナ以外にも、気候変動による自然災害、人間が環世界を侵犯する環境破壊、戦争に紛争に領土問題、令和は既に波乱の時代の渦中にある。その中を、恐れずに、他者と協力しながら、正しい情報を選び出して歩いてゆくには、環世界の視点が今こそ必要であると考えられる。

我々は、自分の主体的身体だけでは知性を増幅することはできない。五感を使い、環境から膨大なインフォメーションを受容することで、知性を構築してゆく。だからこそ、人間が己の環世界だけでなく、他者の環世界を認め、想起し、許容し合うことが、我々の倫理や知性を更なる未来へ向けて拡張してゆくだろう。

人間は地球上の生物で唯一、想像や研究によって他者の環世界へ越境できる力を持っている。だからこそ、我々にしかできないことが沢山ある。

スペインの哲学者オルテガの著書、「ドン・キホーテをめぐる思索」にこのような言葉がある。

「私は、私と私の環境である」

デカルトの「私」から始まる自己中心的な世界ではなく、「私」と「環境」の相互作用の結果が「私」である世界、を表す言葉である。
私とは、環境から五感で感受する経験全てに影響を受けた常に変化し続けるものであり、他者との関わり合いの中で構築し続けられてゆく。私を私たらしめるものは私の身体の中だけにあるのではなく、共生する生物、行った場所、見てきたもの、出会った人々、環世界を越境し、私はどこにでも在る。

環世界を知るということは自分を知るということでもあり、環世界を救うことは、自分を救うことに他ならない。

参考文献

ユクスキュル/クリサート著 日高敏隆・羽田節子訳「生物から見た世界 」岩波文庫、2005年
和辻哲郎著「風土」岩波文庫、1979年
多田富雄著「生命の意味論」新潮社、1997年
渡辺淳治他4名共著「情報環世界」NTT出版、2019年
ジョン・ブロックマン 編 夏目大 ・花塚恵訳「天才科学者はこう考える」ダイヤモンド社、2020年
日高 敏隆 本田財団レポート No.111「環境と環世界」財団法人本田財団、2005年
https://www.hondafoundation.jp/data_files/view/311
私たちの誰もが世界を正しく知覚できない ジョン・ブロックマン
https://diamond.jp/articles/-/232944
集中力と記憶力を強みに 発達障害のある若き靴磨き職人 岐阜新聞Web
https://www.gifu-np.co.jp/articles/-/27419
ゲームにおける環世界とは何か?:ゲームAI開発者 × 生物学専門家による座談会「生物とAI」 前編 モリカトランAIラボ:https://morikatron.ai/2021/03/ai_biology_01
環境主体のリアリティを探求する:ゲームAI開発者 × 生物学専門家による座談会「生物とAI」 後編 モリカトランAIラボ:https://morikatron.ai/2021/04/ai_biology_02
温厚だった妻、陰謀論の動画にはまり「まるで別人に」…[虚実のはざま]第4部 深まる断絶<4> 讀賣新聞
https://www.yomiuri.co.jp/national/20210914-OYT1T50051/
‘I feel like I’ve lost him’: The families torn apart by conspiracy theories FRANCE 24
https://www.france24.com/en/europe/20211001-i-feel-like-i-ve-lost-him-families-torn-apart-by-conspiracy-theories
The QAnon orphans: people who have lost loved ones to conspiracy theories The Gardians
https://www.theguardian.com/us-news/2020/sep/23/qanon-conspiracy-theories-loved-ones
Families speak out after losing loved ones to conspiracy theories abc news
https://abcnews.go.com/GMA/News/video/families-speak-losing-loved-conspiracy-theories-75511236
Conspiracy Theory Addiction Addiction Center
https://www.addictioncenter.com/drugs/conspiracy-theory-addiction/
ウクライナ SNS戦略でロシアを圧倒も戦況に変化なし TBS NEWS
https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye6007565.htm
ウクライナとの情報戦で、ロシアが「自滅」する決定的な理由とは DIAMOND ONLINE
https://diamond.jp/articles/-/300169
いまの世界を“本当に最適化”するには人間の思考では追いつかない Ledge.ai:https://ledge.ai/grid-optimisation-interview/
Google 広告「最適化案」とは?活用方法と注意点 ANAGRAMS:https://anagrams.jp/blog/google-ads-recommendations/
変更された!?Instagramアルゴリズムを上回る9つの戦略と私たちの見解 Statusbrew
https://blog-jp.statusbrew.com/instagram-algorithm-strategy-2020aug/
Galton, F. (1880a). Visualised numerals. Nature, 21.
今村義臣他1名著「数字や文字に色を見る共感覚者」Kurume University
Psychological Research 2010, No. 9, 16-23、2010年 
R・P・ファインマン著「困ります、ファインマンさん」岩波現代文庫、2001年
オルテガ・イ・ガセット著「ドン・キホーテをめぐる思索」フィロソフィア双書、2011年
ディスレクシアとマルチメディアDAISY -当事者そして教育者の立場から-
神山忠
https://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/access/daisy/081207daisy_seminar/081207_kouyama.html

WRITING BY

伊藤 甘露

ライター

人間、哲学、宗教、文化人類学、芸術、自然科学を探索する者

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