CULTURE
ありのままの自分を受け入れ、生きやすくなる。節目に取り組みたい「リトリート」の魅力とは?
目次
画面の向こう側の世界にばかりに気を取られるようになったのは、一体いつからだろう。
スマートフォンが生活の必需品となり、SNSや動画サイトを介して膨大な情報が常に手のひらに流れ込んでくる時代になった。通知音に反応してロックを解除すれば、気づけばInstagramやYouTubeの無限スクロールに没頭してしまう。
情報過多な現代で、私たちが失いつつある「何もしない時間」。それを取り戻す鍵として注目されているのが「リトリート」だ。忙しい日常から意識的に離れ、非日常という「余白」を持つことが、ウェルビーイングの向上に効果があると科学的にも証明されつつある。
今回は、「リトリート」がなぜ必要とされているかを探る。日常から離れることで得られる効果を紐解きながら、2025年をより豊かに生きるヒントを見つけていこう。
ウェルネス産業の拡大で注目される「リトリート」とは
リトリートとは、日常生活から意識的に距離を取り、心身を整えるための時間や場所を指す。もともとは「退避」や「隠遁(いんとん)」という意味の英語で、宗教的な修行や瞑想に使われていた。
近年では、宗教的な要素を超えて、セルフケアや心身の健康を取り戻す取り組み全般を指す。方法に厳密な決まりはなく、大自然の中行われる定番のヨガやマインドフルネスリトリートに加え、都会で開催されるリトリートも数多くある。さらにいえば、日本の湯治や森林浴も、日本に古くからあるリトリートの一部といえるだろう。
要は、忙しい生活や情報過多な環境から一旦距離を置き、自己と向き合い、心の平穏を追求することができれば「リトリート」と呼べるわけだ。
リトリートが注目される背景には、世界的なウェルネス産業の拡大がある。2024年版Global wellness economy monitor(※1)によると、ウェルネス経済は2023年に6.3兆ドル(約945兆円)に達し、2028年までに約9兆ドル(約1,350兆円)に成長すると予測されている。
リトリートが映し出す現代社会のニーズ
ウェルネス経済がこれまでの規模に拡大したのには、いくつかの理由が指摘できる。
まずは、コロナ禍を経て自然や静かな場所でのリフレッシュが注目されるようになったこと。コロナウイルスへの不安と向き合った数年で我々は、「健康な肉体と精神があってこそ、暮らしが成り立つ」という事実を再認識した。その結果、健康の維持や予防医療の優先度が大幅に高まるようになった。
次に、SDGsを始めとするウェルビーイング意識の広がりも影響している。インターネット中心の現代社会は、心の健康に悪影響を及ぼすと言われるようになって久しい。また、パンデミック中は外出もままならず、家族や友人にも会えないという状況に置かれたことで精神的なダメージを受ける人も多くいた。
こうした背景から、精神の健康を保ち、人とつながる“Offline”への回帰と維持が重視されるようになっている。
さらに、企業の取り組みもウェルネス経済の成長を後押ししている。人口減少や離職率の増加という課題に直面する中、多くの企業は従業員のウェルビーイング向上を重要な経営戦略として位置づけるようになってきた。
心身の健康をサポートすることが、生産性やエンゲージメントの向上につながるためだ。その結果、企業向けのメンタルヘルス関連市場も急成長を遂げている。
フランスのリトリートで出会った本来の自分
かくいう著者も「余白」を失いつつある一人だ。仕事柄、1日の半分近くはインターネット上で過ごし、手持ち無沙汰だと感じればついスマートフォンを開いてしまう。そんな自分に嫌気がさし、目の前のことにだけ没頭する時間を求めて、「Time Offline」の旅に出ることに決めた。
目的地は、フランス南西部の都市・ボルドー近くの田舎町。自然と触れ合いながら新しい経験ができると聞き、1週間のマインドフルネスリトリートに参加した。
リトリートはまさに贅沢三昧だった。フランスの自然やおいしい食事といった物質的な側面だけでなく、時間に追われず、インターネットとつながっていなくても生活が成り立つ精神的な贅沢を思う存分味わった。
さらに驚きだったのは、著者が滞在中は常にご機嫌だったこと。初めての土地は緊張したり、新しい環境にストレスを感じてしまったりすることがあったが、今回は違った。
肩書きや役割をそっと横に置き、興味のあることだけに取り組み、自分と向き合う余白を楽しむ。自分自身のこれまでを振り返り、良いところも悪いところも受け入れた上で、「私は正しく進んでいる」と、自分に満足している感情が溢れてきた。自分を見つめて、自分の内側と向き合う「自己受容」が進んだからだろう。
リトリート中、マインドフルネスの講師が言った心に深く響いた一節がある。
「リトリートの目的は、幸せを感じられる土台をつくること。その過程で本来の自分に戻り、心が新たな発見に満たされる」
情報が溢れる社会では、SNSによって他人の生活が簡単に目に入るようになり、自分と比べてしまうことが増えた。それにより幸せを感じる土台が不安定になっている。また、膨大な情報に振り回される中で、情報処理に時間とエネルギーを割かれ、自分への意識が疎かになりやすい。
この言葉は、リトリートが深い自己探求と精神的な満足を得られる場であると改めて感じさせてくれた。
科学的に証明されるリトリートの効果
著者が感じたリトリートの効果は、ただの「癒し」ではなく、科学的にも裏付けられている。ウェルネスツーリストにおける1週間のウェルネスリトリート体験の効果を調べた研究(※2)では、1週間後の腹囲・体重・血圧が減少。さらに心理的および健康状態を示す指標でも大幅な改善がみられ、さらにその効果は6週間継続していた。
また、宿泊型リトリートが健康に与える影響についてのシステマティックレビュー(※3)では、リトリートが心身の健康促進に寄与することが明らかになっている。参加者にとってリトリートは、自己反省やストレス軽減、ライフスタイルの変化をもたらす機会であり、現代社会のストレスや健康課題に対する重要性が強調されている。
実際、私が参加したリトリートでも、持病のため睡眠障害があり、1〜2時間おきに覚醒してしまうと悩む人が、リトリート中は連続して7〜8時間の睡眠が取れたと飛び跳ねて喜んでいた。
リトリートで得られる効果の研究はさまざまな研究機関で進められており、これらの効果が近い将来より明確に証明されることで、より多くの人に豊かな生活がもたらされることを願ってやまない。
リトリートでの余白と深い気づきが日常にもたらすもの
リトリートは、現代人の生活に余白をもたらし、自分自身と向き合うきっかけを与えてくれる特別な時間だ。かつて、私たちが当たり前に持っていたはずの時間が、失われてつつあるからこそ、リトリートで意識的に取り戻すことが、心身に大きな効果をもたらす。
今回はマインドフルネスのリトリートを例に紹介したが、参加するコースによって得られる効果も異なる。インターネットからとにかく離れたい人は、デジタルデトックスという選択肢もあるし、お気に入りのスポーツに目一杯取り組めるリトリートもいい。
また、必ずしもコースへの参加や宿泊にこだわる必要はなく、お気に入りのサウナや温泉に日帰りで訪れるだけでも、立派なリトリートだ。大切なのは、情報をできる限りシャットダウンして、自分自身と向き合うための余白を十分に確保することにある。
年末は、1年を振り返り「できなかったこと」にばかり目が向き、いつも以上にストレスを感じやすくなる。そんな自分に気がついたら、ぜひリトリートを試してほしい。2025年は、情報の波に流されるのではなく、うまく波に乗るコツをリトリートで身に付けてはみてはいかがだろうか。
参考文献
※1 2024 Global Wellness Economy Monitor|Global Wellness Institute
https:// globalwellnessinstitute.org/industry-research/2024-global-wellness-economy-monitor/
※2 Cohen, M. M., Elliott, F., Oates, L., Schembri, A., & Mantri, N. (2017). Do Wellness Tourists Get Well? An Observational Study of Multiple Dimensions of Health and Well-Being After a Week-Long Retreat. The Journal of Alternative and Complementary Medicine, 23(2), 140–148.
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC5312624/
※3 Naidoo, D., Schembri, A., & Cohen, M. (2018). The health impact of residential retreats: a systematic review. BMC Complementary and Alternative Medicine, 18, 8.
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC5761096/#CR42
Ayaka Toba
編集者・ライター
新聞記者、雑誌編集者を経て、フリーの編集者・ライターとして活動。北欧の持続可能性を学ぶため、デンマークのフォルケホイスコーレに留学し、タイでPermaculture Design Certificateを取得。サステナブルな生き方や気候変動に関するトピックスに強い関心がある。