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東海道新幹線の60年。技術革新で変わったことと、変わらないもの
目次
「今日も、新幹線をご利用くださいまして、ありがとうございます」
東京から名古屋・大阪へ。旅の始まりは、いつもこのアナウンスだ。何度も乗っているはずなのに、つい胸が高まってしまう。
そして、そんな人々の想いを、東海道新幹線はこれまでどれだけ運んできたのだろうか。2024年10月に60周年を迎えた東海道新幹線の歴史を振り返りながら、思いを馳せてみよう。
60年前のあの日、警笛が「こだま」した
東海道新幹線は、東京オリンピックの開幕を10日前に控えた1964年10月1日に開業した。当時は日本が戦後復興を遂げ、まさに高度経済成長の真っ只中であった。
しかし、それにともなって、日本における人やモノの流れが急増した。東京から名古屋、大阪を経て神戸を結ぶ東海道本線も、旅客列車や貨物列車でパンク寸前だった。
そこで、構想されたのが「新幹線」だった。文字通り、東海道に新たな幹線を作る。戦前に検討されていた「弾丸列車計画」をベースに、日本国有鉄道(以下、国鉄)のビッグプロジェクトが立ち上がった。
東海道新幹線開業のストーリーは、専門書を中心に数多語られている。ここでは詳細は割愛するが、世界に類を見ないビッグプロジェクトには「紆余曲折」という言葉だけでは表現しきれない苦難が待ち受けていた。しかし、当時の国鉄総裁で後に「新幹線の生みの親」とも称される十河信二氏を筆頭に、当時の日本の技術力(と政治力)を結集させ、ついに初代新幹線・0系の警笛を日本の空に鳴り響かせた。
産声をあげた「団子鼻」の0系新幹線は、東京ー大阪間を従来から2時間半ほど短縮し、約4時間で結んだ。モータリゼーションや航空機の台頭によって陰りを見せていた鉄道に、新たな可能性が見出された瞬間でもあった。「世界の国からこんにちは」が日本全国で流れた1970年の大阪万博の際には、0系新幹線の車両数を12両から現在の原型である16両に増やし、輸送力も増強された。
以前、祖母の自宅で古いアルバムをめくっていた時、一枚の写真が見つかった。幼い頃の父と、私は会うことが叶わなかった祖父が一緒に写った白黒写真である。バックには0系新幹線。もし新幹線が誕生していなかったら、この写真の背景には自家用車が写っていたかもしれない。
東海道新幹線は旅行する家族や出張するビジネスパーソンを乗せて、東方西走することになる。
新幹線に「ひかり」をもたらした「名車」と「CM」
新幹線の開業から21年を迎えようとした1985年。これまで0系新幹線しか走行していなかった東海道新幹線に大変化が訪れた。
「シャークノーズ」で2階建車両を連結した100系新幹線の登場である。
奇しくも筆者と同じ年に誕生した100系新幹線は、瞬く間に人気を得ることになる。また陳腐化しつつある0系新幹線のイメージを一新することにもつながった。
さらに、1992年には「鉄仮面」の300系新幹線が登場し、新たな種別「のぞみ」が誕生した。従来から50km/hアップの最高時速270km/hを実現した車両は、「ひかり」「こだま」のみだった東海道新幹線を新たなステージに導いた。
筆者にとって、100系や300系は憧れの存在だった。毎年、祖母の家を訪れる際に小田原から名古屋まで東海道新幹線に乗車していたが、乗車するのはいつも0系新幹線。各駅停車で何度も強いられる通過待ちでは、0系の横を100系や300系が轟音を響かせながら颯爽と駆け抜けていく。私にとっての東海道新幹線の原風景だ。新幹線の前で家族と撮影した写真も、カラー写真に変わっていた。
また東海道新幹線には、当時車両と同等か、それ以上に存在感を放っていたものがあった。
それが「CM」だ。「X’mas Express」に代表されるCMは、当時社会現象を巻き起こした。CMソングとして起用された山下達郎の「クリスマス・イブ」は、今でもクリスマスに鳴り響くほどだ。
現在では優良企業と評されるJR東海だが、国鉄が民営化され誕生した当初はイメージアップが求められていた。先に触れた車両の陳腐化や旧国鉄に端を発する国民の鉄道に対する不信感もあった。世界をあっと驚かせた東海道新幹線も、再びモータリゼーションや航空機の脅威にさらされていた。
1990年前後は、まさに東海道新幹線のリスタートの時期と位置付けられるかもしれない。それは新型車の投入だけでなく、メディアもフル活用した社運を賭けたものだったともいえよう。
そして、この挑戦は功を奏した。日本経済が「失われた30年」に突入しようとしていた時に、東海道新幹線は輝かしい未来への一歩を踏み出そうとしていた。
数多くの「のぞみ」を乗せ、「第2の開業」を迎える
ミレニアム問題が世間を賑わせていた1999年。東海道新幹線では4代目となる新たな車両が投入された。「かものはし」を思わせる、100系新幹線よりさらに長いノーズを持つ700系新幹線の誕生だ。
700系新幹線は、最高時速こそ285 km/hにとどまっているものの、これまでの車両と比較してエネルギー効率や乗り心地は圧倒的に改善されていた。
そして、700系新幹線投入の背景には「あるミッション」があった。
それが「のぞみ」を中心にしたダイヤ改正である。今でこそ当たり前だが、700系新幹線が投入された当初は、まだ「ひかり」や「こだま」が中心であった。しかし、2003年、東海道新幹線は品川駅を開業させると同時に「のぞみ」中心のダイヤ改正を実施。今では1時間に最大12本も運行する「のぞみ」だが、その礎は20年ほど前にできていた。
一方で、同時に東海道新幹線の顔となっていた名車たちが次々と去っていった。1999年に0系が、2003年には100系が東海道新幹線から引退。昭和生まれの車両が消え、平成以降に誕生した最高時速270km/h以上の車両たちが東海道新幹線を支え、東京と大阪をさらに縮めた。まさに東海道新幹線の「第2の開業」である。
そして、これは数多くの人たちに恩恵をもたらした。筆者もその1人である。2010年代の半ば、名古屋で働いていた筆者は東京に住む彼女と遠距離恋愛をしていた。その2人を結んでいたのは、700系新幹線以降の車両だった。車内チャイムだったTOKIOの「AMBITIOUS JAPAN!」は、デートの始まりだけでなく、終わりも告げていた。スマートフォンで撮影したデート写真を見ながら、次はどこへ行こうかと考えていたものだ。今となっては淡い思い出だが、筆者の人生における大事な1ページである。
変わり続ける東海道新幹線の裏にある「変わらないもの」
その後、JR東海はこの700系新幹線をベースに車両を進化させ、現在は「N700S」を冠した車両が主力を担っている。N700SのSは「Supreme(最上級)」を意味する。
筆者は初めて乗車した際に、それを感じることになる。今までの新幹線とは圧倒的に異なる乗り心地。0系新幹線からすると、まさに隔世の感があった。2023年には、車内チャイムが思い出の「AMBITIOUS JAPAN!」から「会いにいこう」へ変更。これも時の流れを感じざるをえなかった。
また、この最新の新幹線は乗り心地だけでなく、線路や架線の検査を行える技術が盛り込まれた。カメラの進化や画像解析技術の進化により、今では専用車両ではなく、営業車両で行えるようになったのだ。
そして、これによりまた1つ「名車」が鉄路から姿を消すこととなった。新幹線923形電車、通称「ドクターイエロー」である。
新幹線に詳しくない人でも、ドクターイエローは聞いたことがあるだろう。白を基調にした営業車両とは一線を画した真黄色のボディは、名作映画になぞらえて「見ると幸せになる新幹線」と言われ、子どもたちだけでなく大人からも絶大な人気を誇る。街を歩いていると、ドクターイエローモデルのリュックや靴をはいた子どもをよく見かけるほどだ。
「新幹線のお医者さん」と呼ばれたドクターイエローがいなくとも、営業車両が自ら走る鉄路の状態を監視できる。おそらく、60年前では考えられなかったことだろう。
しかし、これが人間社会なのだ。人類は技術の進化とともに発展を遂げてきた。鉄道を見ても、蒸気機関に始まり、ディーゼル、モーターと動力源が技術革新とともに進化してきた。新幹線は、まさにその到達点ともいえるだろう。
人類が存在する限り、技術の進歩は止まらない。ノスタルジーを胸に秘めながら、私たちは変わり続け、変化に適応することが求められている。東海道新幹線の60年は、このことを象徴しているのかもしれない。
一方で、中には変わらないものも存在する。人との出会いや別れ、ホームに入線する新幹線を、目を輝かせながら見つめる子どもたちの眼差し。60年前も、筆者が子どもだった30年前も、今も変わらない。
そして、次の60年も決して変わることはないだろう。
参考文献
新幹線車両大全(イカロス出版、2018年)
十河信二
https://ifsa.jp/index.php?Gsogoshinji
東京~大阪間が4時間半も短縮!帰省を支える長距離列車の進化
https://newswitch.jp/p/18780
遠距離恋愛の舞台から走るオフィスに変貌
https://reskill.nikkei.com/article/DGXLASFD05H01_V00C14A9000000/
JR東海 品川駅の紹介
https://market.jr-central.co.jp/shop/pages/shinagawa_introduction.aspx
新幹線から消滅「TOKIOのあの曲」車内チャイムが誘う旅情
https://mainichi.jp/premier/business/articles/20230621/biz/00m/020/010000c
JR東海・西日本殿向け N700S新幹線
https://www.n-sharyo.co.jp/business/tetsudo/pages/jrcn700s.htm
東海道新幹線 N700S営業車による地上設備計測の実施について
https://jr-central.co.jp/news/release/_pdf/000039804.pdf
狩野 晴樹
ライター
都内のスタートアップに勤めるビジネスパーソン。副業でたまに執筆活動を行う。趣味は野球&サッカー観戦。アラフォーになったものの、「不惑」は遠いと日々感じている。