CULTURE
今、五輪レガシーは生きているか ー大会建築の夢の跡ー
目次
7月24日から始まったパリ五輪、エッフェル塔の目前でメダルを授与されたフィギアスケートの鍵山優真選手は、簡素かつミニマムな仮説会場でありながら「こんなに素敵な場所で!」としきりにロケーションに感銘を表していた。
InstagramやXでも、壮麗なグランパレを下の画角からメインに据えてフェンシングの様子を撮影したものや、ベルサイユを遠景に仰ぎ見る美しい馬術の試合写真など、これまでのオリンピックでは有り得なかった、選手ではなく会場施設をメインとした報道写真や会場そのものについて言及した投稿が目立った。
大仰な新建設スタジアムなどではなく、都市や国としてのプライドを全面に押し出す絶好の機会として観光名所を縦横に利用したパリ五輪・パラ五輪。
反対に過去の開催国には、何十億もかけたスタジアムが閉会後に上手く運用できず巨額の赤字を抱え続けたり、もはや瓦礫やグラフィティーに覆われた廃墟と化しているオリンピック史跡もある。
改めて、五輪とパラ五輪の開催地構想に目を向け、それぞれの国が維新をかけて作った施設のその後とこれからを追ってみよう。
ベルサイユ宮殿を馬が跳ぶ
パリ五輪では、「建てない」ということがとてもアイコニックな会場づくりに転じたと言えるだろう。95パーセントが既存の施設利用で、新設は僅か3施設のみ。あとは誰もが憧れる歴史的観光名所などを実に効果的に活用している。
鍵山選手が感動していたエッフェル塔麓には、自転車や陸上競技のトロカデロ広場チャンピオンズパークやエッフェル塔スタジアムが設けられている。
博覧会会場として作られたガラス張りのグランパレはフェンシング会場として利用されている。太陽光に影響されない最新テックで会場内のガラス天井をカバーし、そのドレープ状の布さえも美しい演出の一部のようだ。
フランス革命の舞台コンコルド広場では、オベリスクが聳え立つ中、自由と革新というフランス革命の精神に繋がる新しい風をもたらす競技、スケートボードなどアーバンスポーツが行われている。
縁が深いベルサイユ宮殿では壮麗な庭園や森深い遊歩道を舞台に馬術が行われ、その景色の圧倒的な美しさでインターネット上を席巻した。また観客が芝生でピクニック式観戦ができたこともその開放的な空間の心地よさに拍車をかけていた。
開会式はセーヌ川でボート上を舞台に行われ、川沿いの史跡が更にショーのメインステージになるなど、こちらも圧倒的な観光資材を有効に利用していた。
日本で言えばベルサイユ宮殿は皇居であり、エッフェル塔は東京タワーだろうか。また歌舞伎座など和の伝統建築を舞台や後景に据えるなどの大胆な発想が必要になる。ヨーロッパには「フォルム」と呼ばれる広場文化があり、広大な土地を仮設施設のためにすぐ確保しやすいという特徴があるが、家長ごとの「イエ」が一つのコミュニティ形成場所として醸成され家々や建物が密集する日本ではそれに倣うのは確かに難しいかもしれない。しかし開催国の都市の強みを強調できる非常に斬新なアイディアであり、これからの五輪トレンドになることは明らかだろう。
ロンドンの東には人が住まない
五輪はこれまで、数週間の会期だけのために壮大な施設の建造を伴う「開発拡大」の方針がとられてきた。しかしIOC会長の代替わりにより、五輪後に残された施設をいかに有効活用してゆくかを問う“五輪レガシー”というテーマが持ち上がっている。その意向が強く反映されたのが2012年ロンドン大会である。
ロンドン市内は東西で経済や社会インフラに大きな差があった。特に東部の「Lower Lea Valley」と呼ばれるエリアには、運河の中州のような土地に倉庫や工場廃棄物処理場などが集まっており、環境も劣悪で最も貧しい地区と悪名高かった。そもそもこの場所を「どうにかせねば」という課題が先にあった。五輪誘致の話が出た際にその課題ありきでプランニングを行ったため、地域の再開発が同時に行われ五輪後も無駄にならなかった。
例えばその後東部が“クイーン・エリザベス・オリンピック・パーク(以下オリンピックパーク)”として居住地や公共地として発展することを見据え、仮設で十分なものは全て仮設で誂え、市民の施設として転用できそうなものだけ一般利用の規模で建築した。水泳競技会場はその後市民プールに活用するために最低限の設備にし、観客席だけを五輪用に仮設で増設。客席上部に登るエレベーターなどはもちろんなかったが、数週間のバリアフリーよりも、その後の永続利用を検討した。
馬術競技会場はグリニッジ王立公園内に仮設で建てられた。ここでは祭りやぐらのような鉄パイプの客席が設えられたが、公園の美しい景色をメインに据え、カメラでどのように放映されるかを意識した。
インフラ整備もその後の計画を見据え、大会運営後も恒久的に必要な橋を検討した上で仮設と恒久建築に分けて地区に橋をかけ、土壌や植栽の入れ替え、河川の改修、電線の地中化といった大規模な土地改良も行われた。
オリンピックパークは現在も一大観光地として栄えており多くの人で賑わい、選手村を再利用した居住エリアも大会後の運用は好調である。
長期的な時間軸の中で五輪を考える、再開発やその後の都市構想を設定したうえで五輪・パラ五輪をきっかけとして利用するという新しいトレンドは、こうして実証されたのである。
五輪廃墟群
その反対に、既に廃墟になった五輪施設も多数ある。
2016年に開催されたばかりのリオデジャネイロ大会は、廃墟化の尋常ではない早さで衝撃を与えている。メイン会場として900億円かけて建設された競技施設は、2017年に一度イベントで使用された後に施設管理を行っていた会社が営業を停止、国の管理下に置かれたものの維持費が捻出できず既に廃墟となっている。ロンドンと同じくレガシーが意識されていたにも関わらず、“パルケ・オリンピコ(以下オリンピックパーク)”内の多数の施設が活用されないまま荒廃している。
時折ライブや小規模イベント会場として利用はされているものの、ゴルフも競泳もその他五輪スポーツも、地元市民にとっては縁遠いものだったのだ。子どもたちがオリンピックパークの路上でサッカーやスケートボードで遊んでいる姿を見ると、本当の意味で市民の為になる都市開発とは何かを考えさせられる。
2020年東京大会でも、「五輪レガシー」が小池百合子都知事によって連呼されていたことは記憶に新しい。しかし現在、恒久施設は赤字が続出し、既に負の遺産化している。
そもそも湾岸エリアの開発が頓挫していた経緯もあり、ベイエリアを盛り上げたいという意図はあったはずだが、16キロ圏に大会施設が分散して建築され、街と施設との必要性や関係性があまりはっきり見えてこない。誘致前から意識されていたレガシーについて、都の構想などを見ても一般的かつ感覚的な言葉が並び、なぜ東京でないといけなかったのかが明確ではなかった。
晴海選手村はロンドンなど過去大会を参考に民間居住地転用を想定しているが、晴海フラッグは現状無人状態のままになっている部分が多い。投資目的で購入はされていると聞くが、2024年現在まだ入居は進んでいない。これから晴海がどのように変化していくか、注視が必要である。
反対にベイゾーンの有明アーバンパークスポーツパークは、大会後のスケートボード日本勢の人気の高まりに後押しされ存続している。競技を見てスケートを始めた子どもがひしめき、五輪のあるべきスポーツ普及の姿を示している。
水運び人がマラソンを席巻した日から
1896年、近代五輪最初のアテネ大会、円盤投げなどギリシャ伝統競技がアメリカ勢に勝利を奪われるなか、水運搬人のギリシャ人スピリドン・ルイスがマラソンで優勝し、開催国ギリシャを大いに沸かせた。ギリシャは大会のために古代スタジアムを再建したり、過去に建立された施設を利用し、水泳競技はゼア湾で行うなど、財政難だったことから効率的かつミニマムに支出を抑え準備し実現にこぎつけた。参加者も予算も少ないなか、工夫すれば五輪開催はできるということを、第一回大会が密かに道標を築いてくれていた。
1964年東京大会も国家予算の3分の1を占めた一兆円規模の五輪ではあったが、戦後復興の最終計画として東海道新幹線、首都高、私鉄の都心乗り入れなど全て込みの計上予算と考えれば納得のいく金額ではあった。世界に日本が甦ったことを示すために、経済力と技術力全てを注ぎ込み実現された、まさに復活の大会である。
都市部のアクセスの良い場所に建設された日本武道館、代々木体育館、国立競技場など施設は、五輪の熱狂と共にスポーツ競技の普及をもたらし、ご存知の通り今も日本の主要なスポーツ・コンサート・入社式や卒業式などイベント会場として使われ続けている。
正しい場所に規模に見合った用途と需要を持って建設されれば、その後も有効活用されるという成功例が、東京には既に輝かしく残っていたのである。
二人きりの日本人選手団
1912年のストックホルム大会に、日本初のオリンピアン三島弥彦と金栗四三がたった二人の選手団入場を果たしてから100年以上の時が経った。そうした先人たちの礎のもと、今回のパリ五輪では日本は金メダル・メダル総数とともに海外大会の最多を更新し、スポーツの熱き力と可能性を人々に伝え続けている。
これからの五輪は、よりエシカルかつエコ持続的であり、開催地に本当に必要な設備やインフラがもたらされるかどうか、五輪レガシーが永続的に市民に還元されていくかが真剣に検討されていく必要がある。そうなることで大会の意義がより深まり、人類にとって有益な文明活動として、これからも存続してゆく道を辿るだろう。
近代五輪の発案者クーベルタン男爵の夢であった「スポーツによる平和実現のための古代五輪復興」は、五輪休戦が守られずロシアウクライナやパレスチナで戦争が続けられているなか揺らぎそうになるが、それでも競技の上では公平に闘い、公平にお互いを称え合う姿を見ることができる。それはこの不安定な世界に欠かせない希望であり、人類の尊厳でもあるだろう。
参考文献
「3 競技施設の後利用」
東京都オリンピック・パラリンピック調整委員会
https://www.2020games.metro.tokyo.lg.jp/1f0ac1074e6cd1dec59dc0587153a733.pdf「東京五輪・パラ 3491億円の恒久施設は“レガシー”となるか」
NHK首都圏ナビ
https://www.nhk.or.jp/shutoken/wr/20220722a.html「事例に学ぶオリンピック開催跡地 の有効活用の視点」
鈴木文彦 大和総研
https://www.dir.co.jp/publicity/magazine/m09hnc000000262k-att/16042801.pdf「パリ2024オリンピック・パラリンピック選手村、未来を見据えたプロジェクトに迫る」
パラリンピック2024
https://olympics.com/ja/news/paris-2024-athlete-village-behind-the-scenes「オリンピック選手村では結婚式が行われたことも。大会後の再利用法も重要
東京五輪の選手村跡地では水素をエネルギーに使用予定」
オリンピック委員会
https://olympics.com/ja/news/オリンヒック選手村ては結婚式か行われたことも-大会後の再利用法も重要「ロンドンにおけるオリンピック/パラリンピック大会会場の今」
三菱UFJリサーチ&コンサルティング
https://www.murc.jp/library/column/sn_150305/「『オリンピック後』を計画する」
滋賀県立大学 白井宏昌
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jappm/45/3/45_9/_pdf/-char/ja「『終了後』を見据えたオリンピック施設整備 のあり方
アトランタ大会以降の事例に学ぶ成熟期の施設整備に必要なこと」
大和総研
https://www.dir.co.jp/report/consulting/research_analysis/20140224_008255.pdf「ロンドン大会に携わった建築家に聞く! 東京五輪『負の遺産』の減らし方」
SUUMOジャーナル
https://suumo.jp/journal/2016/12/02/122025/「会場」
パリオリンピック2024
https://olympics.com/ja/paris-2024/venues「パリ五輪、新規施設は3件と選手村のみ
―既存施設や仮設で対応、「建てない」流れへ」
不動産トレンド&ニュース
https://www.kankyo-station.co.jp/trend-news/art/2024/column27.html「2016年リオオリンピック・パラリンピック廃墟化するレガシー」
笹川スポーツ財団
https://www.ssf.or.jp/international/brazil/20170316.html「東京五輪はレガシーどころか「負のイメージ」 小池百合子氏は自賛するが都民の負担まだ続く〈検証小池都政〉」
東京新聞
https://www.tokyo-np.co.jp/article/328267
伊藤 甘露
ライター
人間、哲学、宗教、文化人類学、芸術、自然科学を探索する者