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「土と水と火」で創造する。旧石器時代から現代へ、陶磁器の歴史

Pottery at Okinawa

「陶磁器(Ceramic)」という言葉はギリシャ語の「kéramos」に由来している。

粘土が豊富に存在するこの地球上で、水と混ぜて焼くことで形を作れることを人類が発見すると、陶芸は数千年前に遡る最も古い産業の 1つとなった。

常に私たちの暮らしの中に在る陶製の器たちは、世界最古の陶製女性像に始まり、アジアの陶磁器、縄文土器、ヨーロッパの貴族に愛された陶磁器産業、そして日本の陶磁器の現在まで、長い人類の歴史を伴走し続けている。

陶磁器の始まりから遡り、現代日本陶磁器産業の奮闘までを振り返ってみよう。

土と水と火のヴィーナス

Ancient terracotta pot from the excavations in Greece. Painted archeological pottery. Remains of Ancient Greek culture. Antique ceramic with ornament. Old Greek patterned pottery on dark background.

現在発掘されているものの中で世界で最も古い陶器の遺物は、旧石器時代後期の紀元前28,000年 (紀元前 = 紀元前) に遡る。チェコ共和国のブルノ近郊の先史時代の小さな集落で発見された「ドルニー ヴェストニツェのヴィーナス」と名付けられた女性の小像である。

高さ11.1センチの小さなものだが、焼成したセラミックであることがしっかり確認できる。垂乳根の女像の多くは「豊穣」などの意味合いを有すると考えられてきたが、近年は村に出産や医療の知識をもたらす「老賢女」などの表象だったのではないかという仮説がある。確かにこのヴィーナスも、憂いに満ちた垂れ下がり目は、若いヴィーナスというより、子を沢山成した老母の姿を思わせる。この場所では、馬蹄形の窯の遺跡の近くで、氷河期の動物を表す粘土像も数百体発見されており、セラミックでの制作が盛んだったことが伺える。

最初の陶製器の例は、数千年後に東アジアにて出現する。中国の仙人洞洞窟では、紀元前18,000〜17,000年の壺の破片が発見されている。陶器の使用は中国から日本やロシア極東地域へと次々と広まったと考えられている。

日本の陶器の始まりには縄文土器が現れる。最も古いものは青森県の大平山元遺跡で発掘された土器片で、炭素測定の結果、紀元前13,000年前のものと推測されている。重量があり壊れやすい土器の発見は定住生活の開始を表しており、大平山元はまさに土器の起源とも言えるスタートポイントであった。

陶器の使用は新石器時代に劇的に増加し、農業や農耕を営む定住コミュニティが確立された。紀元前9,000年頃から、粘土を原料とする陶器は水や食料の容器、美術品、タイル、レンガとして人気を博し、その使用はアジアから中東やヨーロッパへ広がった。初期の製品は、単に天日で乾燥させるか、地面に掘った原始的な窯で低温 (1,000°C以下) で焼いただけのシンプルなもので、陶器は単色か、単純な線状または幾何学的なモチーフを描いて装飾されていた。

陶器の製造における最初の画期的な進歩の1つは、紀元前3500年の車輪の発明だといえる。車輪の導入により、車輪成形技術を利用して放射状対称の陶器工芸品を生産することが可能になった。

陶器に更なる飛躍をもたらした釉薬の始まりは、古代ローマの歴史家プリニウスの「博物誌」に見ることができる。紀元前5000年にフェニキア商人が浜辺で休んでいたときに、火のそばのナトリウムを多く含む岩の上に調理鍋を置いた時、火の熱で岩が溶けて砂と混ざり、人工ガラスが偶然できたと記述されている。

プリニウスの言説は考古学的に実証されていないが、その後ビーズなどの単純なガラス製品は紀元前3500年のメソポタミアとエジプトで発見されている。そして青銅器時代の初めには、メソポタミアで釉薬をかけた陶器が作られた。

また紀元300年頃には中国で磁器が生まれている。青磁や白磁などは全てここから始まった。

美しい食器生活は王族から市民へ

Antique illustration of a Containers, earthenware Satsuma

長らく家内工業的に職人たちによって小規模に受注生産されていた陶磁器産業に大きな変化が訪れるのは16世紀から17世紀にかけてだろう。それまでの受注生産式に変わって、工程を分担し流れ作業にする量産体制が始まった。

ルネッサンス期以降、王侯貴族だけでなく商人が大都市経済を握ったことにより、裕福な市民がより一層豊かな暮らしを模索するようになり、家具、調度品、そして陶磁器も嗜好品として広く流通するようになり、市場は急激にヨーロッパ全土へと拡大した。需要に応える形で、産業革命を予感させる、小さな工房制から大規模工場へと陶磁器産業が発展していったのである。

日本では、奈良時代に着色された陶器が中国から伝来したのを皮切りに土器から移行し、鎌倉時代には本格的に釉薬を施した陶器が焼かれていた。16世紀には千利休と結びつき日本独自の焼き物文化が更に花開き、江戸時代には徳川家により治世が安泰し文化がより発展、柿右衛門や九谷など彩色陶器が隆盛を極める。陶石の発見により、磁器が作られ始めたのもこの頃である。

明治になると大名や公家を顧客にしていた窯が軒並み厳しい状況に陥り、打開策として海外への輸入に活路を見出すことになった。明治6年(1873年)にはウィーンで開催された万国博覧会に明治政府が初めて参加し、日本の繊細かつ美麗な工芸美術品はヨーロッパにおおきなジャポニズム旋風をもたらした。陶磁器、茶などは最重要輸出品に据えられ、外貨獲得の重要な根幹となった。職人たちは美を競い合い、互いに技術を向上し合って、豪華絢爛な陶磁器が次々と生まれていった。ニューヨーク6番街に外貨獲得のための日本製品商店を開いた森村兄弟は、ヨーロッパの陶磁器工場を視察し、時間がかかる一点ものの陶製美術品ではなく大量生産しやすい日用品の洋食器セットの制作を目指した。これが後のノリタケである。

その後第二次世界大戦を挟み熟練職人や生産設備を失った陶磁器産業だが、戦前の評判の高さによって徐々に復旧、戦後オリンピック前後のライフスタイルの洋風化に伴い、国内向けの洋食器の生産も次第に盛んになっていった。

人が想像できない器のカタチ

高度成長期に国内需要、海外需要両面で更に発展した陶磁器産業も、近年では中国製陶磁器の台頭により、大幅な市場縮小を余儀なくされている。

破損などによる買い替えは、100円ショップなどに並ぶ安価な中国製が占め、国内の食器需要はほぼ飽和状態といえるだろう。国内生産額は10年余りで6割以上も減少している。

一方で、多数の窯が廃業する中、現状打破に挑戦している企業も多い。

「NARUMI」ブランドで知られる高級洋食器メーカーの鳴海製陶は動物の骨灰などを混ぜて焼き上げる高級磁器「ボーンチャイナ」を国内で初めて量産に成功し、世界の高級ホテルとの取引に取り組んでいる。また量産品と一線を画したブランディングを行い、中国の都市部百貨店を中心に中国全土で高級食器を売り込み、海外市場と輸出に力を入れている。

またこれまで近隣にしか販路を求めることができなかった地方の小規模陶器店がITを活用しSNSで顧客層を拡大する例も増えてきた。遠隔地にいるフォロワーを自社ECサイトに誘導し、新たな販路を拡大している。

伊藤忠テクノソリューションズ株式会社は、株式会社Qosmoと共同で、伝統工芸でのAI活用を試み、プロジェクト「NeuCraft(ニュークラフト)」を行っている。AIを通して伝統工芸の新たな視点を提供することを目的に、2022年には京都・宇治の窯元、朝日焼との共同プロジェクトを実施。朝日焼に適したAI技術の調査を行った後、過去1制作された1000点以上の作品を撮影、そのデータからAIモデルを構築し、伝統を踏まえながらも従来では思い付かないような革新的デザインの陶器を作成している。

愛媛県産業技術研究所と愛媛大大学院の情報工学研究グループは、AIを利用し陶磁器の色を判別するシステムを開発した。陶芸作家が表現したい色の画像をAIが判定し、釉薬のデータから瞬時に釉薬の調合条件を示すことができる。スマートフォンのアプリに組み込んで活用することを目指す。まるでPCイラストなどのスポイト機能のようであり、実際に焼き上がらなければ色味を確認しづらい陶磁器にとって、芸術表現の幅をさらに広げる一助になるだろう。

中国の大学や海外を拠点とする中国人研究者によって、販路拡大や生産量増加によって複雑化した陶磁器産業の需要予測にAIを取り入れる研究が盛んに行われており、国内では積極的にテクノロジーを活用し業務DX化も推進しているという。日本陶磁器界のビジネスマネージメントやマーケティングにも、同じくAI活用の波がやってくる日は近い。

顔と身体のある器

Patterns on ancient Japanese pottery

縄文時代、煮沸や貯蔵など用途を持って作り上げられた土器には「顔」がついていた。
壺などの縁に顔がつけられ、壺全体は身体と見立てられていたと考えられている。生活用品でありながら、身体という特徴ある部分と相似形になることで、ひとつひとつ練り上げられ焼かれた土器には相当な意味合いがあったはずだ。

またあえて顔面部のみを砕き離している発掘例が多いことから、生活用品として使用後に破棄する際、何か儀式か儀礼めいたルールがあったのではと想像させる。壊れても良い様に、また安価だからという理由で100円ショップでつい食器を買い揃えてしまうような大量消費の時代に、こうした入魂の土と火の手触りには憧憬を覚える。

プリニウスの「博物誌」には、絵画の起源を伝える逸話として陶器が語られている。コリントスの陶器師ブタデスは、自分の娘が恋した男の影を粘土に写しとり作品にした。

「その青年が外国へ行くことになったとき、彼女はランプの光によって投げかけられた彼の顔の影の輪郭を壁の上に描いた。ブタデスはこれに粘土を押しつけて一種の浮き彫りをつくった。それを彼は、他の陶器類といっしょに火にあてて固めた。その似像は、ムンミウスによるコリントスの破壊までニンフたちの神殿に保存されていたという・・・。」(『博物誌』三五151)

この美しい逸話に現れる陶器も、”今は姿無き人の残像を永久に留める”という、ただの生活用品を超えた象徴性を持っている。

昨今の飲食業界で人件費削減・人手不足解消のため、陶磁器から紙皿や紙コップへ切り替える飲食店が増えているが、それ程味気ない暮らしの器が飽和する現代社会に対して、縄文やプリニウスたちの時代の陶器が私たちに問いを投げかける。

日本のこれからの陶磁器産業の在り方について改めて考える時、陶磁器の長い歴史を改めて見つめ、生活に寄り添うその究極の芸術を堪能し、滑らかなカップでコーヒーを飲む喜びや、美しい皿で食す楽しみを今一度思い起こしてゆく必要があるだろう。

参考文献

「A brief history of ceramics and glass」
The American Ceramic Society
https:// ceramics.org/about/what-are-engineered-ceramics-and-glass/brief-history-of-ceramics-and-glass/
「What is ceramics, its origins, characteristics and evolution.」
Italian Ceramic Surface
https:// blog.sicerceramicsurfaces.com/ceramics-origin-and-characteristics/
「食器・生活用陶器」
NIKKEI COMPAS
https://www.nikkei.com/compass/industry_s/0377
青木英一著「わが国陶磁器産地における生産減少への対応 ― 産地間比較を通して―」人文地理 第60巻第 1 号(2008)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjhg/60/1/60_1/_pdf
「百舌烏古墳群の時代~古代における女性~」
堺市
https://www.city.sakai.lg.jp/shisei/jinken/danjokyodosankaku/kaigi2009/hokoku2009/bunkakai/kodaijosei.html
「ボーンチャイナのNARUMI、食器の国際的なコンテストで最優秀賞を受賞!」
PR TIMES
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000008.000070471.html
「陶芸作家の表現したい色、AIが分析 釉薬の調合条件、瞬時に」
毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20220302/k00/00m/040/058000c
「日本の焼き物」
日本セラミックス協会
https://www.ceramic.or.jp/museum/yakimono/contents/history.html
Katharina Rebay-Salisbury「Women as Actors and Objects: The Discovery of ‘Venus’ Figurines in Present-Day Austria」
Women in Archaeology (pp.309-325)
https://www.researchgate.net/publication/372323513_Women_as_Actors_and_Objects_The_Discovery_of_’Venus’_Figurines_in_Present-Day_Austria

WRITING BY

伊藤 甘露

ライター

人間、哲学、宗教、文化人類学、芸術、自然科学を探索する者

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