WORK
航海士は飛ぶ魚と輝く金星を見る ー海上に生きる人々の労働誌ー
目次
「当直(これは完全にワッチと発音する)は四時間ずつ二回、一日八時間勤務だが、出入港の際などはむろん甲板員は全員配置につく。四時から八時の勤務をモーニング当直、八時十二時をトノサマ当直(これが一番楽だ)、十二時四時をドロボー当直と呼ぶ。」
船医として水産庁漁業調査船に飛び乗った北杜夫が世界中を旅する大ベストセラー『どくとるマンボウ航海記』では、乗船直後から船員たちの独特な生活に遭遇しそれを面白おかしく描写している。
この世には様々な仕事があるが、海上を進む船の上での仕事ほどユニークなものはなかなか無いだろう。一度乗船すれば次に陸地に辿り着くまでは降りることはない。船にいる間、人々はどのように働いてどう休むのか。興味深い船上生活の世界に踏み込んでみよう。
航海士は逆立ちしても眠る
船の種類は多様で、国内の港内を航行する内航、本国と外国を航行する外航路とに分かれる。タンカーやコンテナ船などの貨物船、人々の海上の足となるフェリー、各国を優雅にクルーズする豪華客船、漁船、海の安全を守る巡視船や護衛艦、海上要塞さながらの石油掘削用オイルリグなどその規模も用途も船内での生活も千差万別である。
船内では様々な職種の船員がおり、船長を筆頭に、甲板部と呼ばれる航海士たち、エンジンやボイラーなど船の心臓部を管理する機関部の機関士たち、そしてフェリーやクルーズ船で我々乗客が接することになるアテンダントクルーたちや、キッチンで大量の食をまかなう厨房員たちが勤務している。
日本では船員法が適用されているため船員の一日の労働時間は原則8時間でサラリーマンと基本的には同じだが、その勤務体系は独特である。
まず航海士は、船が航行中に周囲の安全を確認する見張りや操船などの航海当直業務(ワッチ)を行っており、勤務は4時間交代の1日に2回交代制で合計8時間の当直にあたっている。
0AM~4AM 12PM~4PM 二等航海士
4AP~8AM 4PM~8PM 一等航海士
8AM~12PM 8PM~0AM 三等航海士
このシフト組みは『どくとるマンボウ』にも全く同じように記されており、マンボウ医師が乗船していたと思われる昭和20年頃と変わっていない。自由時間や食事時間、睡眠時間はこの当直ありきで設定されているため、当直の合間に眠る必要が出てくる。
「もっとも船員にとっては寝るのは大切な才能の一つで、逆立ちをしながらでも眠れるようでないと勤まらぬ」とマンボウ医師も書いている。当然大時化の日もあるだろうが、どんなに船倉が揺れようとベットの上で身体が転がろうと、眠らなければならない。
ウォッチは航行上非常に重要な職務であり、沈没したタイタニック号も、氷山を衝突450m前にウォッチ2名が目視で発見しており、最悪な結果にはなったが正面衝突は免れている。航海士たちはこのほかにも設備点検業務や巡回なども毎日行っている。
機関士に関しては、夜間にマニュアル体制で無人運転をする「M0運転制」が当たり前になってきたため、大きく働き方が改善されたと言えるだろう。
巨大コンテナ船で4等機関士を勤めるAlan氏の一日を追ったYouTuber JeffHKの”Day in the Life of Mega-ship Marine Engineer”というショーでは、6:30の起床から就寝を追うことができるが、モーニングラウンドで巡回したあと30分のお茶休憩が入るなど程よい働き方に見える。
しかしランチタイム中に検温作業が決められていたり、夜の巡回が終わったあと夕食や休憩をした後に再び作業服に着替えてマニュアル運転前の最終点検を行う。また当直勤務のためマニュアルモードで無人化した機関室内の仮眠室で眠る(エンジン音などかなりうるさいがすぐに入眠している。さすがである)など、休みといっても休みではないような、出勤して退勤すれば終わりの陸上生活とは、やはり全く感覚が違うことを実感できる。
豪華客船のアテンダントクルーたちの日常も面白い。巨大船では専任勤務セクションが決まっているようだが、小さなフェリーなどではキャビンアテンダントのように、食堂にいたと思ったら次は売店で働いているなど持ち場を掛け持ちしていることも多い。
豪華客船にはクルー専用のカフェバーも併設されており、クルー用食堂もホテルビュッフェのような綺麗さである。寄港地で停泊している間には、クルーにも乗船許可が降り、各地でひと時ではあるが食事などを楽しめる。
豪華客船で厨房員として勤務するとある日本人クルーの一日のスケジュールでは、仕事開始が7:30、終了が18:30となっており、13:00〜16:00に休憩はあるもののおおよそ10時間拘束になっている。ちなみにクルーメスと呼ばれる食堂で朝食を食べる7:00、夕食の18:30も制服を着用している。そうなると勤務の一部というような感覚になるはずで、オンとオフの切り替えが我々の感覚からすると難しいだろう。
世界一タフな荒波の海上要塞で働く
この中でもユニークなのは、陸地から遥か離れた外洋に鎮座する海上の要塞、石油掘削用のオイルリグだろう。リグは海底に固定されることもあれば、浮遊しながら石油を掘ることもある為、荒波で悪名高い北海油田に位置するリグたちの揺れは、動画で確認するだけでもそこで人が勤務しているとはにわかに信じることが難しいレベルである。
オペレーションは1日12時間、14日間連続勤務したのちに14日間休むという過激なスケジュールをこなしている。
“In 360:Life on an Oil Rig” BBC NEWS
漁船も短期間ではあるが似たような働き方が多い。イギリスの冒険家Ben Fogleが北海の漁師たちと共に働く“What’s Life Like As A North Sea Fisherman?”という番組では、スコットランドの漁船で32時間連続勤務仮眠6時間というシフトを繰り返し、一回の漁で1300箱を魚で満タンにし帰港するという激しい仕事を経験している。盛漁期が決まっているため、獲れる間に大量に獲る必要があり、昼夜関係の無い勤務が必要になる。日本でも漁船は労働基準法の定める法定労働時間といった規定が適用外になっている。
ほどほどに休憩は取れるし自由時間もあるが、基本的にどんな海上業務も乗船中全てが勤務期間にあたる。フェリーなど数時間の航行ですぐに帰宅できるものもあれば、2週間から6か月、8か月など、より長い期間乗船、勤務し続ける場合もある。18世紀までの航海に比べたら勤務状況は幾分か改善されており、8か月乗船すれば4か月休暇など、休暇期間がまとめて取れることも特徴である。
クルーズ船のアテダントクルーたちや漁船のフィッシャーマンたちは口々に言う。
「朝決まった時間から終わりまで、デスクに座り続けるオフィスの生活など考えられない」
彼らは生粋の冒険者で旅人であり、彼らにとって何一つ同じことが起こらない海上の生活は、理想そのものなのかもしれない。
海にも訪れた、働き方改革とテクノロジー
船上生活でよく問題になるのは、オーバーワークがデフォルトになりがちという部分である。上記した通り、オンとオフの境目は非常に曖昧で、他に出かけることのできない一定のエリア内でほぼ毎日連続勤務している状態となれば、緊急時にはオフタイムを無視してでも皆で協力して働かなくてはいけない事態が発生する。
またチームで動く仕事であるから、自分の業務が終了しただけでは勤務から外れることはできず、チームメンバーを手伝う必要がある分勤務時間が伸びがちになる。またクルーズ船なども、乗船期間に対して年間休日日数はサラリーマンの週休2日より遥かに多いことがあるが、その代わり8時間勤務を超え12時間から20時間勤務なども起こりうるなど長時間勤務が常態化している場合もあるという。
これまでは、シフトが船員ごとに違っている上に24時間途切れなく稼働していることで、各個人の残業、過重労働の可視化が難しかった。船員の労働時間、労働環境改善のために何度も船員法が改正されてきてはいたが、2022年4月の改正で大きな変化があった。
今回の船員法では、労働時間の記録簿を作ること、労務管理責任者を選任すること、職住一体であった船内で必ずしも明確でなかった労働時間の取り扱いを見直すことが定められた。これは非常に大きな進歩であり、とくに労働時間記録簿が電子化されることにより、船員たちの働き方を可視化しすぐに改善すべきポイントを抽出しやすくなったことは、働き方改革を推進するきっかけになるだろう。
現在その労働環境改正の動きに合わせ、海運業界では労務管理のデジタル化が進んでいる。
労務管理記録簿の自動作成システムを提供する企業が軒並み増えており、全船員の労務状況や過労リスクを一目で判断できるようなシステムが構築されている。
ある企業では船員の打刻システムを携帯アプリで提供し、通信環境が安定していない船舶では圏外でも打刻可能になっている。船長も携帯アプリで打刻承認をし、陸上の労務管理者がダッシュボードで労務状況と過労リスクアラートを確認するというシンプルな流れである。
それ以前は記録簿を月ごとにFAXで受理するスタイルが一般的であり、全くリアルタイムでない上に記録簿のデータは活用されないまま終わることがほとんどだった。船員法改正とデジタル化を機に、多くの船舶でWi‐Fiの設置が普及し、紙媒体での管理が必要なくなったことも、データ活用の推進と管理の煩雑さの軽減に寄与し始めている。
また貨物船などだと一般的に20人前後、豪華客船であれば1200人前後が一度に働いている海上では、シフト組み作業自体も非常に複雑になる。そこで従業員の配置と勤務時間を最適化して自動的にシフト編成を行うAIのサービスも登場してきている。
これら導入により、船員の長時間勤務は大規模に改善されてゆく兆しがある。
海運業ではその他に、ナビゲーションやルート最適化、燃料消費分析、機器のパフォーマンス分析、レーダーやソナーなどの情報総合解析にAIが導入され始めている。盛漁期があるために労働時間の改善が難しかった漁業も、若い世代の労働力の獲得を目標に、労働改革に乗り出してきている。
AIとテクノロジーの参画により、船上での生活はこれからさらに良いほうへと変化してゆくだろう。
バラ色の空に輝く金星を見た
水産庁漁業調査船「照洋丸」の船医となり、船員たちと共にシンガポール、アフリカ、ポルトガル、パリ、アレキサンドリアなど世界の様々な場所を船上生活を送りながら巡った北杜夫は、水平線に沈みゆく壮麗な日没を見ながら旅を終える。
黄色、バラ色、水色の三層に分かれた空に、金星が輝きだす。
「こうした変化を、私はアッパー・ブリッジに寝そべって、太いロープを枕に、船首が切る波の音と潮の香に包まれながらうつうつと見守っていた。こういうとき、よくぞ船に乗りこんだという幸福感めいたものが、さすがに私の胸にも湧きあがってきた。おそらく贅をつくした客船の船客として十二か月の航海をしたのでは味わい得ないと思われる満足感である」
この北の言葉こそが、過酷な船上生活の美しき核であり、今でも多くの人を海での仕事と暮らしへと駆り立てている原動力かもしれない。
32時間連続漁を繰り返し逃げ場の無い小さな船体の隅で「9時17時の仕事が今ならやりたい」とボヤいていた冒険家Ben Fogleも、船が帰港する頃には達成感と感慨の中で港の光を見つめていた。
これからも、人類の経済活動、移動活動がある限り、海運はダイナミックに動き続け、船と人々は海上を縦横し続けるだろう。
参考資料
北杜夫「どくとるマンボウ航海記」中央公論新社、2009年
Raphael Baumler, “Working time limits at sea, a hundred-year construction”, Marine policy, 2020.
Eric W. Sager, “The Maritime History Group and the History of Seafaring Labour”, Labour / Le Travail, 1985.
The Ultimate Guide to Work Hours & Rest Hours on Ships (Including STCW 2010)
Ml News Network
https: //www.marineinsight.com/maritime-law/the-ultimate-guide-to-work-hours-rest-hours-on-ships-including-stcw-2010/
「船員の労務管理の適正化に関するガイドライン」の公表~船員の働き方改革を推進します~
国土交通省
https://www.mlit.go.jp/report/press/kaiji04_hh_000221.html
Life at sea in the age of sailーWhat did it mean to be ‘tarred and feathered’?ー
Royal museums of Greenwich
https://www.rmg.co.uk/stories/topics/life-sea-age-sail
船内生活をのぞいてみようOUR LIFE ON BOARD
共榮タンカー
https://www.kyoeitanker.co.jp/recruit/gallery.html
What’s life like a North Sea fisherman? Trawler man’s life with Ben Fogle
YouTube:https://youtu.be/n-Pj8l0d2TI?si=YGTjlFNE9_Mdp9y0
Day in the life of mega ship marine engineer
YouTube:https://youtu.be/rsgIkYory8c?si=xY2HLMKkjojhpxYU
伊藤 甘露
ライター
人間、哲学、宗教、文化人類学、芸術、自然科学を探索する者