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需要予測にみる、神そして哲学との対峙。AIは理想世界と現実の架け橋となるか?
目次
2010年以降急速な発展を遂げるAI(Artificial Intelligence: 人工知能)技術は、私たちの私生活やビジネスの進め方を大きく変化させている。そして、未経験の速度で進歩するこの技術は、市井の人々からすれば得体の知れない魔法の杖に近い印象を抱かせるに違いない。
私たちは、AI技術とどのように向き合い、ともに歩んでいけば良いのだろうか?
AI技術を技術的な側面から理解することはひとつの向き合い方であり、多くの記事でも語られるところである。しかし技術者を目指さない人からすれば、これらに目を通し、自分の血肉とすることへのハードルは高い。
そこでAI技術が、これまでに人類が歩んだ知識の歴史から大きく離れるものでもないことを知り、過去との知の連続性から捉え直すのはどうだろうか?特に、科学と宗教が渾然一体であった時代、そしてギリシア哲学的な世界観との類似性は興味深いものがある。
この記事では、需要予測というAI技術を例に取り、技術的な背景を哲学的な視点から解説することを試みたい。
予測の背後にある「連続性」と「神性」
需要予測は、時期に対してどの程度の需要が生じうるかを過去のデータから予測することを指す。
そしてAIなどを活用する予測技術には「関数」という数学的な道具が不可欠である。関数とは、入力に対して出力をただひとつ返すような関係式のことであり、例えば(8月, 火曜日, 晴れ)などを入力として、売上高の推定値(200万円)を返してくれるような式である。
そして、需要が増えるか減るかを議論したい場合には「微分」、そして1年を通じた売り上げ総量を知りたい場合には「積分」という操作を行うことが多い。そして、関数に対して微分・積分を行う上での重要な概念が「連続」若しくは「無限」である。
数学で言う連続とは「どんなに細かく見ても繋がっている」関係を記号論理的に表したものである。この、どんなに細かく見ても、という概念こそが「無限」と関連している。無限という概念は古来より議論されており「アキレスと亀」で知られるパラドックスなどに代表される。
微分とは、曲線における接線の傾きを求めるための道具だ。直線は2点を決めれば1本に定めることができるが、接線は本来1点しか通らないため、その決め方は自明ではない。そのため「2つの点が無限に近づいたとしたら」という理想的な過程を通じて導出される。また積分とは曲線が囲む面積を求めるための道具だが、原理的には細長い短冊の面積の和で近似する際、短冊の幅を「無限に小さく」できれば正確な面積に近づけることができる、という理想的な操作に基づいている。
人や物質は有限であり、決して無限に至ることはできない。平行線は現実では交わることはなく、漸近線はいつまでもある理想の線に近づきはしても決してその線には触れないものである。思考することは無制限に行えるが決して現実には辿り着けないのだ。
しかし「無限」という理想の彼岸では、平行線は交わるし漸近線は理想の線に一致する。決して辿り着くことのできない世界の果て、まさしく形而上の神を思わせる。その意味で、無限に挑むことは「神を知ろうとする試み」に他ならなかった。
実際、無限は数学や哲学に収まらず、宗教的な概念とも強く結びついている。微分・積分という、数学における一大発明は、ニュートンおよびライプニッツによって17世紀後半に見出された。微分・積分の理論を構築する上で無限という概念は不可欠なのだが、ニュートンは大著書プリンシピアの中でこう述べている。
「神は永遠にして無限、全能にして全知である。すなわち、永劫より永劫にわたって持続し、無窮より無窮にわたって偏在する。万物を統治し、ありとあらゆるもの、あるいはなされうるすべてのことがらを知っている。神は永遠や無限そのものではないが、永遠なもの、無限なものである。持続や空間が神ではなくて、神は持続し、かつ存在する。いつまでも変わらず、いたるところに存在し、かつ常住普遍の存在によって時間と空間とを構成する」(プリンシピア第Ⅲ編 世界体系 226頁)
ドイツの美術史家ヴァールブルク,あるいは建築家ミース・ファン・デル・ローエの言葉として知られている「神は細部に宿る」という言葉は、美術・建築物について用いられた表現だが、数学的な連続・無限という概念の重要さに神の存在を見るならば、極めて的を射た表現と言えるかも知れない。
データという21世紀の質料(ヒューレー)
連続・無限に代表され、神の存在性とも繋がり得た「理想」という概念は、予測技術における機械学習モデルと実データの関係性においても重要な議題である。
モデルとは実データが従うであろう曲線を与える数式を意味するが、それと現実に得られる実データと一致することはまずあり得ない。それはデータを取得する際に必ず混ざってしまうノイズであるとか、モデルが考慮しきれなかった効果の存在などがあり得るからである。つまり、モデルとは「理想」なのである。
私たちは現実世界にモデルを当てはめることで複雑怪奇なデータから知識を見出そうとしているのだ。このような現実世界の観測結果たる実データと、予測・理解のための理想形たるモデルの関係を、ギリシア哲学の偉人たるアリストテレスの哲学的視点から眺めてみたい。
アリストテレスの考えでは、現実世界における理想の姿、もしくは変化の完成形態を形相(エイドス)と呼んだ。形相は質料(ヒューレー)に内在し、その変化・生成・成長の要因と位置付けている。質料とはラテン語では「マテリア」であるから大まかに言えば材料である。そして形相は加工された姿(理想)と捉えるとわかりやすい。例えば質料たる木材の形相として住居があり、また質料たる石材の形相として人物石像が当てはまる。
この考え方は長い年月の果てにトマス・アクィナスの思想の源流となり、中世キリスト教に影響を与えた。これは、理想郷と現実世界が完全に隔絶された関係性にあるのではなく、現実世界に理想世界が内在するという考え方であり、現実世界の観測を通じた理想世界の認知の可能性を示唆することとなる。つまり、現実世界を通じて神の存在を認知できる可能性があるとしたのだ。ニュートンの試みは、この思想に少なからず影響を受けていると言える。
さて、これらの哲学観を持って現在に視点を戻そう。我々が取り組んでいるデータ解析や機械学習とは、データに埋もれた情報を見出すために行う作業である。そう考えたとき、我々は手触りのない電子記号化されたひとまとまりの集合体であるデータを、21世紀の質料と捉えることができるのではないか?そして情報とは、データに内在しその姿を変えていく駆動力たる形相に他ならないのではないか?
この対応関係は、データの中に情報が埋もれている、というデータと情報の不可分性と、質料と形相の不可分性に鑑みてもあながち間違っていないように思う。そうすると、現在の最先端技術であるAI・機械学習も、再びアリストテレス的世界観に立ち返ることで、決して新しい考え方ではなく脈絡と続けられた人類の知の探究のあり方と連続的な接続関係にあると捉えられる。
最後にもうひとつ、アリストテレスの文章に見られた、AI技術を思わせる言及を紹介したい。
「真理についての理論考察(テオーリアー, 観想)は、ある意味では困難で、ある意味では容易である。その証拠は次の通りである。すなわち、誰1人決して真理を相応しく射当てることはできないが、全ての人が的を外すわけでもなく、各々の人は自然に関して何らかの真実を語っており、1人ではほとんど全く、若しくはごく僅かしか真理に貢献していないが、全ての人々が集まって協力すると、そこからかなり大きな成果が生じる(p. 544, アリストテレス政治学1.2, 1253a3-5, 26-29.)」
この文章の「人々」を「データ」に置き換え、「真理」を「情報・知識」と置き換えてみると以下のようになるだろう。
「情報・知識についての理論考察(テオーリアー, 観想)は、ある意味では困難で、ある意味では容易である。その証拠は次の通りである。すなわち、データひとつで決して情報・知識を相応しく射当てることはできないが、全てのデータが的を外すわけでもなく、各々のデータは現実に関して何らかの真実を語っており、データ1つではほとんど全く、若しくはごく僅かしか情報・知識に貢献していないが、全てのデータが集まって協力すると、そこからかなり大きな成果が生じる」
全く違和感なく現在の価値観に沿った文章になっていることがわかるであろう。
我々は、需要予測などのデータ解析・機械学習が文明的フロンティアに到達しようしている最先端技術であっても、過去の歴史の中で幾度となく語り継がれてきた神、そして哲学観を見出すことができるのだ。このあたりに、AI技術の次なるあり方を知る手掛かりがあるのかもしれない。
参考文献
今道友信「アリストテレス」講談社学術文庫
納富信留「ギリシア哲学史」筑摩書房
安藤 康伸
ライター
博士(理学)。国立研究開発法人にて機械学習や計算シミュレーションを材料開発に活用する研究に従事。企業向け技術セミナーや学生向け出張授業に加え,趣味でサルサダンス・ミュージカル・インプロなどのステージにも立つ。好きなお酒は無冠帝・ポルフィディオ・アネホ若しくはブッカーズ。