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シリコンバレーはストア哲学の深淵を覗けるか
目次
シリコンバレー古代哲学狂騒曲
近頃、アメリカや日本のテックパーソンの家を訪ねると、本棚かPCデスクの周りに一冊は常備されている本がある。それは、2300年前のギリシャでゼノンによって始められた「ストア派哲学」の本である。
PythonやC++のクックブックなどに混ざって、キケロやマルクス・アウレリウスの名前が見える光景は非常に興味深い。大量のスクリーンや無機質なアップルストアのようなインテリアにLEDテープライトで間接照明が輝く部屋には、なんともギャップのあるチョイスである。
現在、”Silicon Valley Stoics シリコンバレー ストイックス”などと呼ばれるほど、様々なlTパーソンがストア派に熱狂し、その忍耐の哲学を実践することをあたかも最先端の流行のように持て囃している。起業家たちはこぞってストア派の格言をツイートし、冷水シャワーを浴びたり断食する苦行をSNSに載せて競い合っている。
投資家でライフスタイルハックの著名人であるティモシー・フェリスは、自身のブログで「歴史上多くの支配的な投資家のように、アンチフラジャイルさを追求するならば、ストイシズムこそが真の戦略を提供している」と記し、破滅的な顛末で記憶に新しいセラノス社のエリザベス・ホームズも度々マルクス・アウレリウスの『自省録』を引用していた。
The New York Timesが昨今の厳しい経済状況をもって「全てのスタートアップが世界を救うというもはや古いマントラが空虚に鳴り響く」と記す中、ストア派の信条が新しくシリコンバレーにマッチしたことは興味深い。
常に猛烈なスピードで最先端の技術が更新されていくITテック業界や、人材が熾烈な競争を繰り広げる全ての業界で、なぜ古の知恵が人々の崇敬を集めているのか。
特に後期ストア派の賢人達が残した書籍を元に、読んだその日から使えるストイックのマインドセットを追っていきたい。
汝哲学せよ、事を成せ!
そもそもストア派とは何であるかを簡単に述べれば、人間としての幸福とは欲求や恐怖に支配されず、意志を強化し高潔で穏やかな生活を送ることを目指す、個人の生き方の哲学である。ストレスフルな要因に満ちたこの世をどう生きるかというのは、実に普遍的な問題であるから、こうして今日まで読み継がれている。
その詳しい思想の成り立ちと創始者であるキティオンのゼノンについては、こちらの記事で参照されたい。
その後ストア派は連綿と受け継がれ、後期ストア派と呼ばれているローマ時代のセネカ、キケロ、エピクトテス、マルクス・アウレリウスなどによって、現代まで読み継がれる著作が残された。
古代の知恵は衰えず、今すぐにでも実践できる言葉に溢れている。
企業のCIOであり、ストア派哲学をITプロフェッショナルへコーチングしているマイケル・D・マックギルの記事『Stoicism – for IT Professionals』と、ニューヨーク私立大学教授マッシモ・ピリウーチの著作『迷いを断つためのストア哲学』が抜粋した格言を参考に、日常で使えるストア派思想をここで少し解説しておこう。
「早暁、きょうという日に先立っておのれにいうこと。私は、きょうも、お節介な人間や忘恩の徒に、傲慢な人間や欺瞞的な人間にー、中傷家や非社交的な人間に出会うであろう。これらの悪徳は、善悪に対する彼らの無知から、彼らに生じたものである。私は、ーー彼ら過ちを犯す人間も自分と同類の者ーーであることを観取しているがゆえに、私は彼らのだれからも害を受けることはありえない。ーーまた、私は自分と同類の者に怒りをいだくことも、彼を忌避することもできない。われわれは、足や手や瞼や上下の歯並びのごとく、協力するために生まれてきたものであるから。されば、たがいに啀み合うことは自然の本姓に反する」
マルクス・アウレリウス『自省録』
サービスは提供され続けることが通常であり、その停止はまさしく地獄のような騒動へと発展することは間違いない。毎日そのプレッシャーに苛まれながら、不満を抱く顧客や上司に向き合い、嫉妬心をむき出しにしてハラスメントをしてくる同僚や、期待する品質やスピードを示さない従業員にも囲まれている。
そんな人々の醜い側面やストレスフルな状況をマルクス・アウレリウスは、”それが人間のすることである”と説く。そして自分もまた、時にそのような行動をとってしまうかもしれない同じ人間であると言う。だからこそそのような醜悪な者に出会った時も驚かず動揺しないことが重要である。いちいち過剰反応せずに自分の心のうちに平安を見出し、今日もまた誰かと協調して働いていくという、柔軟かつ芯の強い日々の教訓である。
「わたしたちの力が及ぶものは最大限に生かし、そうでないものは、なりゆきにまかせるのがいい」
エピクテトス『語録』
大事な商談の日に限って新幹線や飛行機が止まり足止めをくらうことは誰にでも起こりうる。予測不可能な遅延について駅員に怒鳴り散らすような人を見かけることも多々あるだろう。
エピクトテスの教えは私たちがコントロール不可能なことほどより心配し大きなエネルギーを使ってしまうという習性を思い起こさせてくれる。天候など外的要因は私たちには成すすべがないことであり、そこに集中して不安になるのではなく、今できることをすることが大切である。気持ちを切り替え、即座に顧客に電話を入れ、最短で目的地に着く方法を考える。これは移動手段のみならず、ビジネスで突き当たる様々なコントロール不可能なトラブルについて、どんな心で立ち向かえば良いかを改めて思い起こさせてくれる。
「早暁、大儀な気分のなかで目を覚ますときには、つねにつぎのことを念頭におくよう。ーーすなわち自分は人間としての仕事をなすために目覚めたのだ、と。されば自分の生れ出てきたいわれをなす仕事、この宇宙に自分が導き入れられた目的となっている仕事を遂行すべく、それに向かって進むならば、どうして私は気むずかしくすることがあろう。それとも、褥のなかに横たわり、ぬくと暖まるために、私はつくられたというのか」
マルクス・アウレリウス『自省録』
ぬくぬくとした布団で目覚めて、即座に仕事のストレスを思い起こしこのままベッドから出たくないと思った朝は誰しもある。特に月曜の朝ほど憂鬱な日はないだろう。プレッシャーで押しつぶされそうな大きなプロジェクトが待ち構えていたり、どうもそりが合わないチームとのミーティングが待っている。しかし、それをいつまで避けていられるだろう。寝ているだけでは何も解決せず、大きな目標に到達することはできない。人間は何かを成し遂げるために生まれたのだから。さあ、布団から出て、行動しよう。
「何かに愛着を抱くとき、すなわち、決して奪われないものではなく、水差しやガラスのコップといったものに愛着を抱くときは、それがたとえ壊れても取り乱す必要はないと忘れないことである。人間に対しても同じだ。自分自身の子どもや兄弟や友人にキスするときは・・・死すべき者を愛していること、愛しても自分自身のものではないことを失念してはならない」
エピクトテス『語録』
高いスキルが必要なシビアな仕事ほど、サイテーションの度に今度は自分がレイオフされるのではないかという恐怖がつきまとったりする。もちろん常に最高のパフォーマンスをしていかなければならないが、エピクトテスは失うことを恐れてはいけないということを教えてくれる。ポジションや肩書きを失うことを思い悩みストレスを抱える必要はない。会社は自分を完全には所有できないし、自分自身も会社がなければ生きていけない訳ではないからである。
例えば身近なガジェットや持ち物にもこれは当てはまり、仕事のみならず、愛する人をいつか失ってしまう恐怖にも言える普遍的なことである。
こうして少し抜粋するだけで、現代のビジネスパーソンへの親和性が如実に分かる。古代の哲人たちの教えが、ここまで即効性があるとは。読めば読むほど驚きに満ちている。
哲学者でいたかった戦場の皇帝
後期ストア派の哲人たちの中で特に異色なのは、先程も引用した『自省録』の著者、ローマ帝国の王でありながらストア派哲学者であったマルクス・アウレリウスであろう。
”五賢帝”最後の一人であり、教養と知性を兼ね備え、娯楽に耽溺することなく鋭い執政を行う、プラトンがその昔思い描いた「哲人君主」そのものであった。
祖父や養父の影響で幼い頃からストア派哲学者や様々な哲人を師として育ち、優れた内政を行い、地中海に広がる国々を取りまとめ、ローマ帝国の最盛期を受け継いだ。
しかしアウレリウスの治世は決して平安とはいえない状況にあった。自然災害や疫病の流行に加え、パルティア王国との戦争やゲルマン人による侵略によるマルコマンニ戦争など、ローマ帝国の存亡に関わる危機が次々と襲っていた。
皇帝権力に興味を示さず、本当は哲学者になりたかったと言われているアウレリウスは、平和主義であったと思われるが、国家存亡の為にその晩年のほとんどを戦禍に生きることとなった。兵を送り遠隔操作することを好まず、人々を鼓舞するために自ら前線に赴き執務した。その陣中の野営にて夜ごと瞑想の目的で書かれたのが、自著『自省録(英題:Meditations)』である。
これは他者へ公開する目的はなくあくまで自戒の著であり、タイトルもギリシャ語で『Τὰ εἰς ἑαυτόν(彼自身へ)』とされた簡潔なものだった。本文で「おまえ」と呼ばれ鼓舞されているのは、アウレリウス自身なのである。
哲人の教養であったギリシャ語で、不安を退け恐怖に打ち勝つ精神鍛錬の為に戦地で夜ごと記した著。その執筆は、本当は哲学者として生きていたかったアウレリウスが、厳しい現実に向き合い必死に皇帝としての責務を果たさんと苦悶するなかで、唯一自分らしくいられた時間だったのかもしれない。
ストア派は資本を拡張するか
極限までストイックで誠実なアウレリウスの思想に対して、シリコンバレーのセレブたちがあえてストア派を“ファッション”として身にまとい苦行をこれみよがしにSNSに投稿することを嘲笑する雰囲気もアメリカにはある。
なぜなら本当のストア派が精神を鍛錬することと徳そのものに重きを置いて、裕福になることには重きを置かなかった(しかしキュニコス派とは違い富や権力を保持することを否定はしていない。この相違については、こちらの記事を参照されたい)にも関わらず、シリコンバレーのストイックたちは、いかに自分の事業が成功するか、富が最大化されるか、権力を増幅するためにはどうすれば良いかを、ストア派を通じて追及しているからである。
またこれだけ大きなムーブメントに成長し、数多くの人々がストア派哲学書を読んでいるのは、シリコンバレーの起業家のように成功したい、リッチになりたいという動機が大きいだろう。
哲学研究者たちの間でこれは複雑な感情を呼び起こしているが、“Instagram映えする”という理由で昨今様々な美術館に若者が溢れかえっていることに似て、紀元前に生まれた古代哲学がこうしてまた多くの人に読まれているという事実自体は尊いことだろう。インスタのために集まった若者が、絵画や彫刻にまた刺激を受け次の世界に向かうこともあることと同じく、自分自身のビジネスライフのために読み始めたストア派の書が、思いがけずあなたをどこかへ連れて行ってくれるかも知れない。
マルクス・アウレリウスの『自省録』は、その凄まじい知性によって今日読んでも全く古さを感じない。滅亡しゆく帝国を必死に支えながら一人きりで自己と問答を繰り返し、生きること、生きて物事を成すことに真剣に向き合った。そんな1900年前の一人の人間の生き様を、是非ページをめくることで追体験してもらいたい。
参考文献
ジャン=バティスト・グリナ著「ストア派」株式会社白水社、2020年
キケロ、エピクテトス、M・アウレリウス著「世界の名著 第13巻」中央公論社、1968年
マッシモ・ピリウーチ著「迷いを断つためのストア哲学」株式会社 早川書房、2019年
キケロ、エピクテトス、マルクス・アウレリウス著「世界の名著 14」中央公論社、1980年
ディオゲネス・ラエルティオス著 加来彰俊訳「ギリシア哲学者列伝(中)」岩波書店、1989年
高畠純夫著「古代ギリシアの思想家たち〜知恵の伝統と闘争〜」山川出版社、2014年
荻野弘之著「哲学の饗宴〜ソクラテス・プラトン・アリストテレス〜」日本放送出版協会、2003年
荻野弘之著「哲学の原風景〜古代ギリシアの知恵のことば〜」日本放送出版協会、1999年
納富信留著「西洋哲学の根源」放送大学教育振興会、2022年
Stoicism — For IT Professionals
Michael McGill
https://www.michaeldmcgill.com/2019/04/25/stoicism-for-it-professionals/
Why Is Silicon Valley So Obsessed With the Virtue of Suffering?
The New York Times:https://www.nytimes.com/2019/03/26/style/silicon-valley-stoics.html
How to Succeed in High-Stress Situations (#319)
TIM FERRISS
https://tim.blog/2018/06/10/how-to-succeed-in-high-stress-situations/
Silicon Valley Stoicism
The Stoic Gym
https://thestoicgym.com/the-stoic-magazine/article/499
伊藤 甘露
ライター
人間、哲学、宗教、文化人類学、芸術、自然科学を探索する者