CULTURE
なぜ日本でマンガは”文化”に至ったのか
目次
マンガは世界が知る日本の文化であるということは、今では誰もが認める事実であろう。世代を超えてマンガが読み継がれることもあり、マンガは年々変化を続け、現在では少年マンガといえど十代向けの枠組みを超えた普遍性を獲得している。マンガは子供向けであるなどということは全くなくなったのだ。
そしてマンガは日本だけのものでもなく、全世界が楽しむ一大エンターテイメント分野の地位を確立している。
さて世界に目を向けたときに、マンガほど成熟した文化土壌を持つ類似文化がほとんど見られないことは大変に不思議である。リュミエール兄弟以来、映画は世界中に広まり、物語の指向性は異なるものの同じフォーマットのもと親しまれている。音楽も同様だ。マンガのようにコマ割りされた絵物語は、コミックとしてもちろん海外にも根付いているが、日本のように多様な作家や読者を獲得しているようには見えない。
日本でマンガがここまでの文化に至ったのはなぜだろうか?本記事では日本がたどった近代の歴史を辿りながら、この疑問について考察したい。
風刺漫画とエロ・グロ・ナンセンス
日本における漫画の起源には諸説あり、古くは鳥獣戯画や北斎漫画などが挙げられる。
しかし本記事ではあくまで19世紀以降の近現代的な漫画に焦点を当てたい。19世紀は産業革命による近代化を欧米列強が推し進めており、日本も明治政府主導でその流れに追随しようと必死であった。
この時代に日本でも発展したのが「新聞」である。新聞は一般市民の情報源であり、社会を知る重要なメディアとして成長した。そして新聞を発端として発展するジャーナリズムの一環として生まれた社会情勢を切り取る絵画文化が「風刺画」であり、日本のマンガ文化の発端と言われている。
19世紀から20世紀初頭にかけて、新聞や小説といった文字メディアが娯楽文化の中心であり、文明開化後の新鮮な刺激に溢れた時代に生きた人々の主張がそこに凝縮されていた。特に1862年に創刊されたジャパン・パンチ(英語: Japan Punch)は、イギリス人であるチャールズ・ワーグマンが創刊した風刺漫画雑誌であり、日本初の漫画雑誌と位置付けられている。
また現在でもジャパン・パンチという名称は「ポンチ絵」という単語にその名残を残している。この雑誌をきっかけに新聞メディアにも漫画が登場し始める。フランスではこの風刺漫画文化が今もなお根強く、異文化の宗教問題を取り扱ったことで国際問題に至ったことも記憶に新しい。
明治以降の義務教育課程の普及により国民の識字率が増加したことから、新聞メディアは国民の情報源として広く普及した。実際、1920年ごろの日本(当時人口5,600万人、約1,000万世帯)において新聞の発行部数は約625万部を数えた。新聞が民衆の団結を促し大正デモクラシーを牽引し、昭和という激動の時代に差し掛かるこの頃、関東大震災や世界恐慌の影響から深刻な情勢不安を抱える時代でもあった。
文化的にもエロ・グロ・ナンセンスと呼ばれる、従来では考えられなかった独特な作品が登場した。「陰獣」「人間椅子」などの作品に代表される江戸川乱歩や「少女地獄」「ドグラ・マグラ」で知られる夢野久作などはエロ・グロ・ナンセンスの代表作家に挙げられる。漫画も挿絵という形でこのブームに乗り、風刺画を飛び出して文藝表現とも結びつきながら表現の幅を広げ物語性を高めていった。
昭和初期から戦時へ移りゆく時代の漫画は、すでに四コマ漫画やナンセンス漫画が登場を始めていたにせよ、新聞や小説の挿絵であるなど文字メディアの補助的位置付けとして用いられることが一般的であった。これらは中世に比べて洗練された形に進んだとは認められたとしても、欧米でも類似の形態は生まれており、世界的に日本が特異なマンガ文化を生み出す土壌として成立していたようには見えない。
では、世界の漫画文化と日本のマンガはどこで分岐点を迎えるのだろうか。筆者が考える日本でマンガ文化が生まれた最大のきっかけはこののちにある「敗戦」である。
リセットされた日本で交わる「子供」と「漫画」
第二次世界大戦の終結を知らせた1945年8月15日は、日本が自ら背負い込んだ膨大な業と供に、焼け野原となった日本の国土や国民の精神性を再興するための始まりの日であった。
それまで栄えていた新聞・雑誌メディアはインフラを消失した日本においては見る影も無くなった。しかし人間とは逞しいもので、物資・資源・社会インフラなどを失った中にあっても娯楽を求め続けた。
いや、日常を失ってしまった時だからこそさらに強く娯楽を求めたともいえよう。
GHQ統治下にある日本においては戦前から続く大手の出版活動が制限されるなか、子供向け娯楽は思想性が薄いという判断から自由を得た数少ない文化的表現媒体となって、爆発的な広がりと文化的成熟を見せた。
その結果、戦後日本で台頭したのが「紙芝居」である。紙芝居は奇しくも世界恐慌・関東大震災後の1930年ごろに誕生し、有名な作品として「黄金バット」が知られている。
また当時は駄菓子を売るための人集めの道具であった。まるでそれをなぞるように、1946年に該当紙芝居が復活した。1948年には教育紙芝居出版が始まるなど、絵画と物語を組み合わせた子供向けメディアとして発展を遂げた。
また紙芝居を小説化したもので、紙芝居らしさを残すように挿絵の割合が多く取られた小説である絵物語も多く発表された。その後、絵物語は「劇画」と呼ばれるマンガの一大ジャンルの成立に大きな影響を与えることになる。
同様に、関西では赤本漫画が闇市などで取引され広く普及した。赤本漫画は正規の書籍流通ルートを通らないために低価格で取引されており、ある意味「同人誌」の原点とも言える。
赤本漫画は1947年に発表された手塚治虫の「新宝島」が大ヒット。また手塚治虫がこの時代に生み出した技術・漫画の思想は現代マンガの基礎をなしたと言っても過言ではないだろう。赤本漫画はその後、より丁装の豪華な貸本漫画へとバトンを写し、その読者は労働者階級の青年男女が中心となった。
多くの娯楽が制限された戦後直後の日本で子供向け文化として突破口を見つけた漫画は脈々と引き継がれ、赤本・貸本世代で育った子供たちが新しい漫画を生み出すことになる。
高度成長期に差し掛かる頃には、一週間という単位が大衆生活に馴染んできた。その流れの中で生まれた週刊誌は、かつては小説同様に読み切りが主流であったのに対し、定期購読者を獲得しようとラジオのソープオペラに似た形で連載という形をとった。
人々の生活習慣とビジネススタイルが漫画に新しい可能性を与えた。その後の発展は、おそらく本記事の読者も知ることであろう。
世界への広がりと東洋哲学思想
これまでに述べてきた漫画文化成立の流れは今や世界にもマンガとして知られることとなる。明治から戦前までに続いた風刺文化・ジャーナリズムとのつながりを土壌に日本のマンガ文化は成立しているために、当然、それを共有している欧米からみても全く知らないものではない。それこそがマンガ文化が世界を驚かせ、世界を席巻できた理由であろう。
またマンガが老若男女あらゆる世代に向け、多種多様に紡がれるに至った理由として、マンガの生産工程も理由として挙げられる。
漫画と並び、マーベルなどで世界に知られる一大分野であるアメリカンコミックは、ライター・インカー・カラリスト・レタラーなど細かな分業制で成り立っている。各技術担当が技を磨くことで生まれる作品群はそれが故に洗練され、その素晴らしさには否定する余地がない。
一方で日本は、原作・作画という2大分業は存在するものの、個人がストーリー・作画・演出・キャラクターデザインまでをこなすことが一般的である。非常に幅広いスキルが求められ、生産性も高いとはおそらく言えないが、さまざまな技術が渾然一体として何か特殊なものが生まれ得る土壌になっている要因ともいえる。
アメリカンコミックの分業制とマンガの個人制作のスタイルの違いは、西洋思想と東洋思想の違いを想起させる。
オハイオ大学名誉教授であるThomas P. Kasulisは日本哲学と西洋哲学の比較を通してdetached knowing とengaged knowingという考え方を示している。西洋哲学思想では、物事を解体・分割(detached)して根源的な構成要素を発見しようとする方向性がしばしば見られる。論理的に「AはBではない」という区別をつけていくようなイメージである。
一方、東洋哲学思想では物事のつながりを断ち切ることなく、つながったまま(engaged)の総体として世界を認識しようとする方向性が見られるという。その結果、「Aでもあり、Bでもある」など一見西洋的な視点で混乱をきたすような論理展開も自然と受け入れることができる。このような東洋思想の特徴であるEngaged knowingという姿勢もまた、日本でマンガが文化に至った土壌となっているのかもしれない。
文化とは、社会を構成する人々によって習得・共有・伝達される行動様式ないし生活様式の総体のことをいう。言語・習俗・道徳・宗教、種々の制度などはその具体例であり、マンガはまさに近現代に結実した新たな具体例として挙げるにふさわしい、近代日本の象徴的成果であるとっても過言ではないのかもしれない。
参考文献
・19世紀アメリカのマンガ史概略(三浦知志):http://mstudies.org/2016/12/04/398
・Wikiwand 日本の漫画の歴史 https://www.wikiwand.com/ja/日本の漫画の歴史
・川崎市市民ミュージアム 漫画資料コレクション 『THE JAPAN PUNCH』http://kawasaki.iri-project.org/content/?doi=0447544/01800000HJ
・https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/10/1.html
・紙芝居文化の会 紙芝居とは?:https://www.kamishibai-ikaja.com/documents/what-kamishibai-history.pdf
・預言者ムハンマドの風刺画をめぐり相次ぐテロ https://www.moj.go.jp/psia/ITH/topics/column_10.html
・Thomas P. Kasulis: Engaging Japanese Philosophy, University of HAWAI’I PRESS (2018).
・https://www.stat.go.jp/data/kokusei/2020/ayumi/pdf/ayumi03.pdf
・サブカル日記 , 2.子ども漫画の台頭 絵物語・赤本・漫画少年 戦後日本マンガ史’45年~’50年代②:http://nightrain.chu.jp/wp/?p=2481
・https://comicstreet.net/discover/comics-usa/usa-comics-introduction-3/
安藤 康伸
ライター
博士(理学)。国立研究開発法人にて機械学習や計算シミュレーションを材料開発に活用する研究に従事。企業向け技術セミナーや学生向け出張授業に加え,趣味でサルサダンス・ミュージカル・インプロなどのステージにも立つ。好きなお酒は無冠帝・ポルフィディオ・アネホ若しくはブッカーズ。