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深刻化する子育て世帯の分断――コロナ禍がもたらす地域コミュニティの再生とは――

深刻化する子育て世帯の分断――コロナ禍がもたらす地域コミュニティの再生とは――

「地域のつながりが希薄化している」と指摘されて久しい世の中になった。マンションに住んでいて隣人とは挨拶程度、名前も知らないという人も多いだろう。また、関東に住んでいて、30分~1時間電車に乗れば友人と会えるが、近所には頼れる人がいないという人も多いのではないか。私自身も、予備校入学から上京して以来、長年関東に住んでいるが、そうした状況に特段疑問を感じずに過ごしてきた。

しかし、2年前に娘が生まれて状況が一変。新型コロナウイルス感染症拡大の影響もあり、「子育てというのは、ここまで孤独を感じるものなのか…」と落胆した。頼る人が近くにおらず、妻とともに疲弊しきってしまった。今回は、そんな子育て世帯の孤独について考察していこうと思う。

コロナの影響もあり、子育て中の孤独は約6割の親が経験


子育てに関する社会問題の解決を目指すNPO法人フローレンスが行った「無園児家庭の孤独感と定期保育ニーズに関する全国調査」をみると、「未就園児家庭の親は子育てで孤独を感じやすい」との回答が約5割にのぼった。また、株式会社ベビーカレンダーが発表した「コロナ禍で加速する『弧育て』実態調査」によると、ママたちの約6割が孤独だと回答している。

これだけ孤独を感じる親が増えている要因は何か。都市部を中心に地域のつながりがなくなってきたことや、3密回避の影響で子育て支援センターが一時期閉鎖され、リモートワークが普及したことで自宅内の閉ざされた環境下での育児など、様々な理由が考えられそうだ。

実際、著者もコロナの影響で、娘が2020年8月に生まれたが、面会謝絶で生まれてから2週間は会えなかった。育児中は、私がフリーランスということもあり積極的に育児に参加し、妻と二人体制で臨んだが、それでもかなりきつかった。また、私も妻も両親が離れて住んでいたため、あまり頼ることができず日に日に心は疲弊していった。

昔は地域みんなで育てていた


保育園もなかなか決まらないなか、地域で頼る人がいない。片方が休みたい時は、片方が一人で見るということを繰り返す始末。頼れる人がいないということは様々な弊害を生む。例えば、私はフリーランスのため比較的仕事の時間をコントロールできるとはいえ、取材の際は一日家を空けることも多い。その場合、日中から夜にかけて妻は必然的にワンオペになるし、もし妻が体調を崩したとしても、娘を妻一人で見なければならない日だってあった。

また、子育て中の孤独はコロナにより助長した側面も大きい。娘の保育園がなかなか決まらなかったため、保育園でできるような娘の友達やママ友などもできなかった。そこで、公園などへよく遊びに出かけたが、緊急事態宣言下ではあまり外出できず、解除後に公園に行っても人はまばらだった。さらに、娘は1歳半ぐらいから他人に興味を示し始め、公園にいるほかの子供と遊ぼうと近づいていくのだが、コロナがまだ収まっていないこともあって、その人が感染対策についてどう思っているのか分からないという懸念が親としてあった。つまり、「その相手の子供に自分の娘が触れてもいいのか? 近づいていいのか?」という疑問だ。コロナに関しての考え方は、本当に人それぞれで、そういった意味でも娘が人との交流の機会を奪われたようで苦しかった。

それでも、もし、地域のつながりがまだあり、隣近所に助けてもらえる人がいれば。また、地域全体で子育てができれば、どれだけ心強いか分からない。

では、次にどうして地域のつながりがこんなにもなくなってしまったのか考えてみる。日本も昔は地域で助け合っていた。例えば、小津安二郎監督の映画「東京物語」で、主人公の老婆が、戦死した次男の嫁のアパートに泊まりに行くシーンがある。その際、義理の娘は酒が家にないとして隣に住んでいる人に当たり前のように酒を借りに行く。こうしたシーンが当たりまえに描かれているので、その当時(1953年)は日常の風景だったのだろう。では、いつから地域のつながりが希薄化してきたのか。

1988年の藤田敏八監督の遺作「リボルバー」には、キャバクラで働く一人の女性が隣人の女性に対してベランダ越しに声をかけ、自分の部屋で仲良くスイカを食べるシーンがある。日常からつねにコミュニケーションをとっていたようで、友達関係でもある。1980年代後半でもギリギリ地域のつながりはあったようだ。

確かに私が5歳ぐらいだった1993年では、アパートに住んでいた子供たち同士で毎日遊ぶのは日常の光景だったし、母親が忙しく手が離せなかったときなどは、隣の家に私が一時的に預けられ、その家の子供と母親の用事が終わるまで遊んでいた記憶もある。

自治体の調査もみてみよう。愛知県では、地域コミュニティの機能が大きく低下していくことに危機感を覚え、「地域コミュニティ活性化推進事業」を行っており、地域コミュニティの再生・活性化策のあり方や、具体策を検討する際の基礎資料とするため、県内の地域コミュニティの実態や先駆的・モデル的な地域コミュニティの取り組みを把握・分析している。その調査資料である「地域コミュニティ活性化方策調査報告書」のなかにある地域コミュニティの歴史的経緯の項目をみると、地域コミュニティの衰退は1980年代後半~2000年代前半と明記されている。

その一つのきっかけに「バブル景気」があるという。経済優先社会となったことで、少しずつ自分本位の考え方に人々が変わっていき、その反面、地域とのつながりや連帯感は希薄化したという。また、1990年代前半にバブル経済が崩壊後は、国内景気が急速に低迷。国や地方公共団体も軒並み財政的な限界を迎え、地域が疲弊し、地域コミュニティも衰退していったと考察している。

インターネット、SNSの普及により、海外の友達とつながれる一方、隣近所とはつながれないという皮肉


そして、1995年のウィンドウズ95の発売以来、インターネットが爆発的に普及。また、同時期の1992年に「NTTドコモ」、1997年に「J-PHONE」が誕生し、携帯電話も普及していった。そして、2007年Appleが初代iPhoneを発表し、現在に至る。総務省が発表している「令和4年版 情報通信白書」をみると、2021年のスマートフォン世帯保有率は、88.6%にものぼる。

携帯電話やインターネットの普及が人間関係の希薄化が進んだ一因になっているという見解に対しては、さまざまな意見があるので割愛するが、個人的な見解としては、世の中が「効率性」を重視しすぎたせいではないかと思っている。デジタルが普及して、家にいながら誰とでも繋がれる世の中になった。そこにはある種の偶然性は極力排除され、効率よくさまざまなものにアクセスでき、好きな人とだけ繋がれる。

そうした徐々に機械化されていく人間の営みのなか、わざわざ「好きかも分からない」、「どんな人間かも分からない」地域の人とつながる必要はないし、疲れるだけだと感じてしまったのではないか。

ところが、そうした誰とでも繋がれるということは、当たり前だが“どこへでも行けるが故に”という条件付きだったことを、コロナによりまざまざと見せつけられたように思う。コロナにより移動に制限がされると、当然SNSなどでつながっている人には会いに行けず、孤独感が倍増した。

地域に限定したSNSや、鉄道会社によるコミュニティづくり


移動制限や、リモートワークの普及により、人々の自宅時間は必然的に長くなった。そこで、今までとは反対に少しずつ地域のつながりを求めるケースが増えているという。行政は相変わらず財政的に疲弊しているため、そうした社会のニーズをいち早く感じ取ったのが民間企業だ。

企業による地域のつながりを取り戻そうとする取り組みが少しずつ出始めている。

例えば一つの例として、旭化成の社内ベンチャーである株式会社コネプラのアプリ「GOKINJO」では、デジタルの力で地域のつながりを再構築しようとしている。デジタルが推進したことで、衰退に拍車をかけたかもしれない地域のつながりを、再度デジタルの力で活性化させようとは少し皮肉めいてはいるが。

機能はこうだ。マンションの住人向けに提供し、そのマンションに住んでいる人しか使用できない。アプリでは、使用しなくなったベビーカーを譲りたい人と欲しい人をマッチングさせたり、近隣保育園の情報を共有したりできる。また、自宅にいて少し誰かに助けてほしい際などは、直接お願いするのは気が引けるとしてアプリ上で助けを求められ、リアルでの関わりを創出する。

ほかには、東急株式会社が行っている「nexus(ネクサス)構想」がある。これは、生活者起点のまちづくりで、企業や行政が協業することで、東急沿線郊外の多摩田園都市をエリアごとに地域のつながりを創出しようという試みだ。

すでに、川崎市に、ある大型団地に隣接した「ネクサスチャレンジパーク早野」をオープン。地域住人が集まれる場所を作った。ここでは、会員制の焚き火やコミュニティ農園があり、地域住人同士のコミュニティを促進しており、夏には子供たち向けにカブトムシのイベントなどを行った。

同じく鉄道会社である東武鉄道は、南栗橋駅で「ブリッジライフプラットフォーム構想」を手掛ける。トヨタホーム、イオン、久喜市を巻き込み、戸建て街区の建設だけでなく、公園、並木道、商業施設、デイサービス、老人ホーム、クラブハウスなどを併設。地域のつながりを考えた街づくりを行っている。

これらの地域活性化の動きは、全てコロナによる人々のライフスタイルの変化に起因する。オフィス街である丸の内、遊び場は渋谷や池袋など、従来は都市ごとにその街の目的がわかれていたのが、リモートワークの爆発的な普及により、自宅の周りに美味しいごはんが食べられる場所、遊べる場所、働ける場所などが欲しいというニーズが高まったからだ。

これは先ほどの話に戻るが、自宅がある地域、近所での生活時間が増えたことで、地域のつながりを再度人々に意識づけしたのではと考える。

コロナにより再度、身近な生活環境が重要だと気付いた人々。こうした地域活性化の動きが全国で広がり、また地域のつながりが少しでも回復してくれれば、周りに頼る人が増え、子育てもしやすくなるだろう。子供を地域で育てる、という風潮になっていけば、生まれる子供の数も増えるのではないだろうか。もちろん、景気は悪く低賃金という社会的状況のなか、一概には言えないが、“育てる”ということにポジティブに考えられるかそうではないかは、出産するか否かを考える上で一つの大きな指標になるのは確かだろう。

そうした明るい未来が来るように、子育て世帯として、地域のつながりが再生されることに期待したい。

参考文献

コネプラ https://conepla.co.jp/
ネクサス構想 https://nexus-dento.com/
ネクサスチャレンジパーク早野 https://ncp-hayano.studio.site/
東急 ブリッジライフプラットフォーム構想 https://www.tobu.co.jp/cms-pdf/releases/20220525181359ng03PmMIhFkNst621K8h3g.pdf
愛知県の「地域コミュニティ活性化方策調査報告書」 https://www.pref.aichi.jp/soshiki/shichoson/0000024554.html
令和4 年情報通信白書の概要 https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/r04/html/nb000000.html
ベビーカレンダー調査 https://static.babypad.jp/corp.baby-calendar.jp/uploads/2021/09/22160928/newsrelease_202109kosodate2_babycalendar.pdf
フローレンス調査 https://florence.or.jp/news/2022/06/post52393/

WRITING BY

太田 祐一

ライター・記者

住宅関係、金属関係の業界紙を2社経験後、フリーランスのライター・記者として独立。現在は、さまざまな媒体で取材・記事執筆を行っている。注力している分野は、モビリティ、環境問題、働き方、スタートアップなど。

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